2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

岡部小学校「田植え 水辺の里観察」体験学習

今朝は準備段階の時は雨が降っていたが、子供たちが田んぼに到着したころには曇りから薄日がさすようになった。参加者 岡部小学校五年生 54名 校長先生 担任先生 父兄(希望者) 協力者 岡部自然を愛する会 岡部ロータリークラブ 全員集合、田植えの説明を…

たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入 その四

大正10年(1921)中国(支那)卵の輸入が最大になったのには理由がある。 記録によれば『第一次世界大戦後、とりわけ大正8年(1919)以降、わが国の一般物価は著しく暴騰し、鶏卵の小売価格も一個8銭ないし10銭にはね上がった。そのため、政府は勅令を以…

たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入 その三

記録によれば大正10年(1921)、中国(支那)卵の輸入量は最大となり国内消費量の32%を占めていた。 これではならじと官民一体となって「鶏卵自給増産計画』に取り組み、その努力が実り輸入卵をゼロにしたことはすでに話した。 それどころかこの後が凄い、…

たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入 その二

大正から昭和時代のはじめにかけて、卵は国内需要の三分の一以上が支那卵の輸入でまかなわれていた。 記録によると「当時、わが国の輸入卵の主要積地は上海、天津、青島の三港であった。特に揚子江沿岸地区の村落のものは小舟で上海まで運び、ここで鋸屑、鉋…

たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入

私の父親が10羽の鶏から養鶏を始めたのは大正9年(1920)であるから、今年で93年目になる。 その間,第二次世界大戦をはさんで、戦中戦後も人間の食糧にも事欠くなか,飼料をかき集め鶏を飼い続け、そして現在にいたっている。 大正年代の後半から昭和年代の…