2018-01-01から1年間の記事一覧

たまご屋爺さんの独り言  2018年 暮

たまご屋爺さんの独り言 2018年 暮 ふと気がつけば年の暮れ、まったく月日は飛ぶように飛んでゆく。 私の親父が亡くなって既に25年以上になるが、その居間にたしか良寛の漢詩「夜半」の掛け軸があったように思う。 調べてみると 半夜 良寛(1758−1831) 回…

たまご屋爺さんの独り言  岡部隕石 20181130

たまご屋爺さんの独り言 岡部隕石 20181130 「今から60年前1958年11月26日午後3時ごろ岡部村(現在の深谷市今泉)で畑仕事をしていた山崎政雄さんと父吉作さんの間に隕石が落下した、、、人の至近距離に落ちた世界的にも珍しい岡部隕石を記念してイベントを…

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 余話 その三

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 余話 その三 おしまい 20181129 今回は2週間ほどの旅であったので連絡用にPCを持参し、訪ねた各国でも使えるようにWiFiのルーターも用意してみた。 ところが扱い方が悪いのか、中国のの香港と厦門ではどうしてもネット…

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 余話 その二 20181119 

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 余話 その二 20181119 航海中は海をぼんやり海を観ているのが好きだ、しかしそれにもやがて飽きる。 しかし三度の食事は飽きない。 夕食のディナーも美味しいが、朝昼のビュッフェ方式も気に入っている。 乗客が多国籍…

ぶらり船の旅 余話 その一 20181116

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 余話 その一 20181116 今回の旅でどうしても気になることがあった。 この船の定員は乗客2000人、サービスのクルーは船長を含めて1000人の大所帯である。 その乗客は横浜発着であったので約半分は日本人を含めて…

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 まとめ

たまご屋爺さんの独り言 ぶらり船の旅 まとめ 耳が遠い私と、すっかり脚が弱ったカミさんが組になって15日間の「ぶらり船の旅」に出た。 カミさんの兄夫婦と一緒だったので、いづれも若いとは言えない。 私ども二人にとっては、あるいはこれが最後の旅にな…

たまご屋爺さんの独り言 鶏魂供養祭

たまご屋爺さんの独り言 鶏魂供養祭 先日、神奈川県大雄山最乗寺にて鶏魂供養祭が行われた。これは神奈川県の養鶏団体が主催するもので、毎年一回開催されすでに今年で60年以上の歴史がある。この供養祭を開始した当時は神奈川県も養鶏農家数が多く、これ…

>たまご屋爺さんの独り言 ハマギクの花

たまご屋爺さんの独り言 ハマギクの花 我々の歩き仲間Mさん(深谷市針ヶ谷)の庭にその花は初めて咲いた。2016年8月に仲間は岩手県 大槌町 「三陸花ホテルはまぎく」に泊まったことがある。このホテルは大震災の時、その社長は津波で流され亡くなり後継…

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その三 了

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その三 了「善人なほもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この本で最も知られた言葉だ、その本当の意味は「親鸞さまはこうおっしゃった」と唯円…

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その二

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その二 この本は親鸞の弟子唯円が、先生の教えが誤って世間に伝えられいることを激しく嘆き、「本当は先生がこう云われたのだよ」と書き記したものだ。親鸞と唯円が活動していた時代とは一体どんな様子であったのであろう? …

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その一

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その一 たまたま今年は「歎異抄」を読む機会に恵まれた。 まえから読んでみたい本の一つであったが、取り付けなかった。私自身、歳を重ねてくるとどちらかと言えば新しい本も面白いが、時代を超えて生き残った古典にも興味が…

たまご屋爺さんの独り言 「縄文のビーナス 」

たまご屋爺さんの独り言 「縄文のビーナス 」 東京国立博物館で開催されていた「縄文 JOMON」特別展を観て圧倒された。この特別展は人気が高く、当日会場に開館30分前に着いたがすでに行列が出来ていて炎天下待たされたほどた。縄文時代といえば紀元前11…

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(5)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(5) 米中貿易戦争に世界中が巻き込まれていずれが勝つにせよ経済的混乱は避けられない。中国が現在以上の豊かさを望むのであれば、米国とも上手く付き合っていくほかは無い。いまの中国は建国(1…

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(4)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(4) このシリーズは始めにも断ったようにこれは18年前に私の書いた記録である。 少しピント外れのところもあるが、その間世の中は大きく変わった。 今は米中貿易戦争真っ只中なのだ、それがどの…

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(3)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(3) 猛暑が過ぎて今度は台風が立て続けにやってくる、それも今年はいつもとは違うコースであり気が抜けない。 たまご屋の仕事も長年やっていれば、良い時もあれば台風が来たように悪い時もあった。…

それは中国卵の輸入から始まった(2)

それは中国卵の輸入から始まった(2) やっと朝晩涼しくなったが、今年の猛暑は恐ろしかった。 私の住む深谷市は今年日本一の最高温度41、1度を記録した熊谷市の隣であるから、それは暑かった人間もバテたが鶏の熱死も多かった。 特に関西山陽地区はそれに台…

それは中国卵の輸入から始まった(1)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(1) 私はたまご屋の二代目である、すでに現役を引退から15年以上になり三代目の 息子たちに仕事を引き継いでもらった。 私の親父が創業してから間もなく100年になる、その間私の家族はずーと…

たまご屋爺さんの独り言 スクウェアダンス

たまご屋爺さんの独り言 スクウェアダンス この暑さの中ふらふらしながら、スクウェアダンスの会に通っている。早足で歩くだけのダンスだが、中休みを取りながらでも2時間もやれば爺さんはクタクタになる。自分でも驚くが、それを始めてからもう15年以上…

たまご屋爺さんの独り言 代表的日本人

たまご屋爺さんの独り言 代表的日本人 「代表的日本人」内村鑑三(1908出版)を読んでいたらこの暑さも何処かに飛んでしまった。 内村鑑三?名前は聞いたことがあるが、実際に彼の本を読んだのは初めてである。今から100年以上前、内村鑑三はこの本を欧米む…

たまご屋爺さんの独り言 災害

たまご屋爺さんの独り言 災害 このところ九州、中国地方、四国を襲った大水害の報道をTVで見るたびにのん びりと「爺さんの独り言」など書く気がしなかった。 亡くなった方々や被災者のことを思うと気が引けたこともある。日常のごく当たり前の生活が今回の…

たまご屋爺さんの独り言 愉快なお婆さん

たまご屋爺さんの独り言 愉快なお婆さん 先日、日本経済新聞(電子版)を見ていてとても驚き、そして愉快になった。話題の主は「若宮正子」さん、私と同年齢の82才で間違いなくお婆さん。 なんと彼女はこの歳でシニアむけのゲームアプリ「hinadan」を独力…

たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 三

たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 三 最後になるがケージまた平飼い方式について、ほぼ一生を日本でたまご屋として過ごしてきた私の考えを述べる。現在、有り難いことに世界の先進国の中で日本人は卵を一番沢山食べてくれる。 生の卵かけご飯の美味し…

たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 二

たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 二 私には記憶がある、小学校4年生であった終戦時(1945)我が家の鶏舎は平飼い(放し飼い)であった。戦前、日本中はほぼ100%の鶏は同じく平飼いであったのだ。終戦後人間が食べるのも困難な時、両親は街の残滓や…

>たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 一

たまご屋爺さんの独り言 動物愛護のこと 一 日本中のたまご屋にも動物愛護が問題になりそうだ。すでにヨーロッパ、アメリカなどでは採卵鶏のケージ(金網製の鳥籠)飼育が法律で禁止された処がある。 日本では考えられぬほど動物愛護団体の活動は激しく、政…

たまご屋爺さんの独り言 古い脳 新しい脳

たまご屋爺さんの独り言 古い脳 新しい脳 自分で手書きした記録が後に自分で読み取れないほど悪筆なので、PC(パソコン)による記録作成はわりと早かった。もうかれこれ20年以上になるのであろうか、当時PCで,メール、ブログ、、、などがやっと一般化し始…

>たまご屋爺さんの独り言 古い写真

たまご屋爺さんの独り言 古い写真 身のまわりを片付けていると古い写真が沢山出てきた。今まで何度か捨てようとして捨てきれなかったものだ、今回もその気で整理を始めたのだがどうにも捨てきれない。私にはそれらが宝物であっても、関係のない人さまにとっ…

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 四

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 四 先日、野球選手で鉄人といわれた衣笠選手が亡くなった、71才の若さだ。 その彼が生前国民栄誉賞を受けた時TVで語っていた「私が野球に出会えたのは神様のお陰です」が忘れられない。日本人は本当に嬉しい時や本当に…

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 三

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 三 人生の八十路と言ってもその人、その人によって様子は大きく異なる。既にこの世にいない者、あるいは病に冒されて闘病中の者、そうかと思えば未だに元気いっぱいで飛び回っている人もいる。この個人差はどうしようも…

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 二

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 二 仕事に夢中であった現役時代を終えてみると、困った事が起きた。現役の時、仕事はこなす趣味も楽しむという器用なことが出来なかった私は趣味らしい趣味がない、自分で言うのも変だがまったく面白味のない男だ。囲碁…

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 一

たまご屋爺さんの独り言 八十路に思う 一 八十路になってつくづく思う。若い時は夢中になれる仕事があった、その時は他に楽しみを見つける時間もなければその必要もなかった。65才の頃、脳梗塞で倒れた。 自営業であるからまだまだ仕事は出来たが、引退も同…