2020-01-01から1年間の記事一覧
たまご屋爺さんの独り言 鐘撞堂山の愉快な仲間たち (二) 今年(2020)の元旦以来、残念ながら私は鐘撞堂山に一度も登っていない。 その代わりに家のまわりの櫛挽開拓地をウロウロと歩いている、それも2本の杖をついて、、、。 鐘撞堂山に登っていたときは…
たまご屋爺さんの独り言 鐘撞堂山の愉快な仲間たち (一) 20201206 私の家から車で15分の所に鐘撞堂山(標高330㎡)がある、私はこの山が好きで一人で春夏秋冬登り続けていた。 正月元旦にはここ10年、初日の出を頂上で子供孫たち10名前後と共に迎えること…
たまご屋爺さんの独り言 1960年のこと 1960年、私が24才の時。 アメリカ加州サンフランシスコから北へ車で一時間ほどにある小さな村の養鶏場で、8ヶ月間ほど働いていたことがある。 今から60年前の1960年年といえば日本がアメリカとの戦争に負けてから15年…
たまご屋爺さんの独り言 四国遍路の旅 夢、幻? 今でも時々思い出すことがある、あれは夢あるいは幻であったのであろうか? 2013年2月私が77歳のとき、思い立って一人で四国霊場八十八ヵ所を歩いて参拝する遍路の旅に出た。 四国四県を一度に一県づつ、2013…
たまご屋爺さんの独り言 星野道夫さんのこと 20201112 今朝新聞を見ていたらふと星野道夫さんの記事に目がとまった。 実は今から4年ほど前、彼の没後20年特別展を東京銀座松屋に見に行ったことがある。 御存知かどうか、彼はカメラマンであり文筆家である。 …
1 / 54,544 たまご屋爺さんの独り言 続 私の櫛挽物語 小池もと(100歳)さん 受信トレイ たまご屋爺さんの独り言 続 私の櫛挽物語 小池もと(100歳)さん 20201104 ニュースが飛び込んできたので物語を続けます。 「秩父事件中心人物の孫100歳を祝う」 20…
たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 決して忘れてはならない事 20201031 櫛挽開拓地に30才過ぎて入植させもらってから50年以上になった、この地で最後を迎えるつもりだ。 横浜市の田舎で生まれ育ち学校にゆき、父親の起業したたまご屋の手ほどきを受け相模…
たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 「櫛挽開拓五十年」誌 20201024 1970年私が34才の時、運良く櫛挽開拓地に後期入植が許可となり、喜び勇んでたまご農場の建設に取り組んだ。 当時、関越高速道路はなく相模原市の農場から現在深谷市の櫛挽開拓地まで車で…
たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 20201016 私は50数年前家族を引き連れ神奈川県の相模原市から現地(当時は埼玉県大里郡岡部町櫛挽現在は深谷市櫛挽)へ引っ越してきた。 当時私たちに子供は4人いた。 相模原時代からたまご屋をしていたが、その地域が…
たまご屋爺さんの独り言 歳をとること 20201011 今から13年前、ちょうど七十路に入りたての頃、博識の先輩Uさんに「歳をとるとはこう云うことだよ」と江戸時代の武士で俳人の横井也有(1702−1783)の残した狂歌を教えてもらった。 作者は80才を超えて亡くな…
たまご屋爺さんの独り言 されど女性は強し! 2020年9月の調査によれば日本の100才以上の人口は8万人を超えたという、しかもその88%は女性である。 調査が始まった16963年100才以上が全国で163人、1万人を超えたのが1998年でその後現在にいたるまでの伸びは急…
たまご屋爺さんの独り言 日本人はたまご好き 先日コンビニエンスストアのローソンに行った時、弁当サンドイッチのコーナを見たら驚いた。 三角形の通常のたまごサンドのほかに「まるまるTAMAGOサンド」「トロトロTAMAGOバーガー」が並んでいた。 興味をもっ…
たまご屋爺さんの独り言 スマホ 最近たまに電車に乗ると私にはビックリする風景にぶつかる。 若い者はほとんどごく当たり前のようにスマホを見ているし、爺さん婆さんですらそれを弄っている。 新聞、本などを読んでいる人はごく稀になった。 古い話だが私ら…
たまご屋爺さんの独り言 「お母さーん」 私は日本人でありながら「茶道」のことをまるで知らず恥ずかしい。 けれどお茶を飲むことは大好きだ、最近はもっぱら粉茶を愛用している。 茶の葉丸ごと粉にしたものを飲むのだから茶殻も出ないし身体にも良さそうだ…
たまご屋爺さんの独り言 「死をどう生きたか」 80代も半ばになると感受性が鈍くなるせいか本を読んでいて感動することが少なくなった、勿論読書量そのものが減っているのだが、、、。 少々手遅れだが私が読書する時の悪癖である本を汚す書き込みを止めた、そ…
たまご屋爺さんの独り言 私のコロナ対策 20200824 親父が喜ぶと思って私の娘が雑誌にあった記事をLINEで送ってきた。 それには 題名 近藤誠 「コロナに過度な心配は不必要。免疫力アップに、医者・薬・サプリは要らぬ。私が卵と牛乳をおすすめする理由」 プレジデ…
たまご屋爺さんの独り言 終戦の日 20200815 なぜか75年前の終戦の日のことを覚えている。 小学生のころで、丁度今私の一番年下の孫の年ごろだ。 その日、父は家族の者たちをラジオの前に集合させた、天皇陛下の大事な放送があったのだ。 当時のラジオは木製…
たまご屋爺さんの独り言 「残された日々」 20200814 朝日新聞に連載されていた瀬戸内寂聴(98)のエッセイ「残された日々」が今回60回目で最終回となった。 これは今から6年前93才の時スタートしてほぼ月一回のペースあった。 作家であり出家して僧侶である彼…
たまご屋爺さんの独り言 「眠れない」 スマートウォッチなるものをほぼ一日24時間身に着ける生活を始めてから7ヶ月ほどになった。 ときどきつけ忘れることがあるが、興味があることは苦にならない。 なにを面白がっているかと云えば、この時計は「眠り」の状…
たまご屋爺さんの独り言 「おしっこ」 先日(7/15₎、NHKの「ためしてガッテン」を見ていたら、こちらも大いに合点がいった。 それは夜間頻尿のことを取り上げていた。 若い時にはほとんど気にならなかったが歳をとるにつれ夜間「おしっこ」の回数が増える、そ…
*1 / 8px; position: relative; overflow: hidden; box-sizing: border-box; --t68779821: 0 1px 2px var(--shadow-2); box-shadow: 0 1px 2px var(--shadow-2); font-family: inherit;"> 自己紹介 埼玉県 深谷市 在住 詳細を編集 注目のコンテンツを編集 *2…
たまご屋爺さんの独り言 「天国からのメール」 その後 受信トレイ x Fujio Saito <saito.fujio@gmail.com> 7月11日(土) 18:54 (8 日前) To 自分, Bcc: Setsuko, Bcc: 井口澄男, Bcc: 木村, Bcc: 松山, Bcc: 浅野寛、延子, Bcc: 牛木, Bcc: 田中teruaki, Bcc: 田中, Bcc: 鈴木, Bcc: </saito.fujio@gmail.com>…
たまご屋爺さんの独り言 「おしっこ」 先日(7/15₎、NHKの「ためしてガッテン」を見ていたら、こちらも大いに合点がいった。 それは夜間頻尿のことを取り上げていた。 若い時にはほとんど気にならなかったが歳をとるにつれ夜間「おしっこ」の回数が増える、そ…
たまご屋爺さんの独り言 古い写真 フィルムカメラそして小型のデジタルカメラから、最近はもっぱらスマホのカメラを愛用している。 以前から撮るものが難しいものでなく普通のスナップ写真であるから私には充分事足りる、いつも身に着けているものだしとても…
たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その二 横浜市が大空襲にあったのは終戦の日(19450815)の直前5月29日で昼間のことであった。 市の中心部は焼夷爆弾でほとんど焼野原となり、死者も一日で四千人に近かった。 菅田町は農村部にあるため当日の被害は少な…
たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その一 私には4人の姉と2人の弟がいた、戦時中の「産めや増やせや」の時代であったからどこでも子供の数は多かった。 この7人の子供たちが産まれたのはいずれも横浜市神奈川区菅田町であったが、その当時は横浜でも農村…
たまご屋爺さんの独り言 「たまご屋おやじの独り言」 私は運の良いことに「爺さん」になる前の「おやじ」時代に書いた「独り言」がコンピュータに残っていた。 コロナ騒ぎで巣ごもり状態になったのを幸い?にそれらを読み返してみた。 記録によると私が生ま…
たまご屋爺さんの独り言 新型コロナ時代に思う その三 200530 わが国では新型コロナの緊急事態宣言が全面解除されたとは云え第二波の感染が心配されている、世界中を見れば現在ますます深刻になっている国が多い。 そうした状況のなかで米中の対立はますます…
たまご屋爺さんの独り言 新型コロナ時代に思う その二 200519 今朝のニュースをみると200517の国内でのコロナ感染者は24人であり、8日間続けて100人を下回った。 やれ一安心と思いたいがまだ油断はできない。 家にこもっているため時間を持て余しついついPC…
たまご屋爺さんの独り言 新型コロナ時代に思う コロナ騒ぎで爺さんは家に閉じこもっている、病気をした時以外こんなことはなかった。 長い期間家の中でウロウロしていると色々なことを考える。 いったいこのコロナ騒ぎはどのように収まるのであろう? この騒…