たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 「櫛挽開拓五十年」誌  20201024

 

たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 「櫛挽開拓五十年」誌

                    20201024


 1970年私が34才の時、運良く櫛挽開拓地に後期入植が許可となり、喜び勇んでたまご農場の建設に取り組んだ。

当時、関越高速道路はなく相模原市の農場から現在深谷市の櫛挽開拓地まで車で2時間半ほどかかり、その道路はまだ一部舗装されていなかった。


長女が岡部町の小学校に入学するのに合わせて家族は相模原市からこの地へ引っ越してきた、農場は一部は完成していたが住宅は移住された初代入植者のそれを改造して使わせてもらった。 


1995年私が60才の時、櫛挽開拓農協は「櫛挽開拓五十年」の記念事業及び記念誌を作成した、初代入植者はその当時血気盛んの若者たちも50年過ぎれば老人となる、それどころかボツボツ亡くなり始めていた。

その貴重な記念誌が手元にある。


2020年私は84才になっていた、世話になった先輩の初代入植者はほとんどこの世には居ない、開拓地の跡継ぎも2~3代目に変わった。

開墾当時の困難な様子を伝えるのはその記念誌だけとなってしまった。

 
1995年当時の櫛挽開拓地 今もあまり変わっていません。(記念誌より)
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