「寺よ、変われ」

榛名湖

「寺よ、変われ」

こう暑いと本を読む元気も失せてしまうが、最近珍しく夢中になって読んだ本がある、岩波新書の「寺よ、変われ」 高橋卓志著である。
著者の高橋さんは臨済宗神宮寺の住職で、現在の日本中8万以上あるお寺のありように非常に危機感をいだいている。

お坊さんの書いた本も何冊か読んだことがあるが、たいてい途中で投げ出してしまった、この本は単に危機感を煽るだけでなく、その解決法を自身で試行錯誤していることで非常に説得力がある。
問題点の分析、その解決法がたんにお寺の問題にとどまらず、ほかの問題の解決にも役に立つ。
特に葬儀において寺および坊さんの存在感ないし役割がなくなっていることをあげ、このままでは檀家制度に守られてきた寺もその存在が危ないとしている。

そういえば私の住んでいる深谷市の農村部でも、いままでは寺の坊さんに来てもらい隣近所が総出して自宅で葬儀が行われたが、最近ではもっぱら葬祭業に丸投げである。
たしかにビジネスとしての葬祭は時間の無駄もなくあらゆることに合理的である、だが葬儀に参加するたびに思うのだがなにか空しい。
故人の死を悼み、故人を想う時間もなく「一丁上がり」のスピードで事は終わる。

その「空しさ」を解決するために高橋住職は神宮寺でいろいろと試行錯誤している、読んでいて感動的な葬儀もある、このような革新的な試みは私のような門外漢は快哉を叫ぶが、おそらく保守的な同業の坊さんにとっては「余計なことをしやがって」と必ずしも人気のあるとは思えない。

「自分はこのように自分自身の葬儀をやって欲しい」と考える人には一読を薦める。