カトマンズー(Kathmandu)の混沌 

カトマンズーには丁度一週間いたことになる、西洋式のホテルに滞在してそこからあちこちと歩き回ったわけだが、それだけでこの国のことをあれこれ言うことは出来ない。
ここに来る前いろいろとネパールについての本も読んでみた、特に印象に残ったのは、清沢 洋さんの「ネパール 村人の暮らしと国際協力」であった。

清沢さんはNGOのメンバーとして20年ちかくネパールとかかわり、隅々までその国を実際に歩き回りその実情に詳しい、この国は世界の最貧国の一つであり国家予算の四分の一が海外からの援助によって成り立っているが、いぜんとして最貧国から抜け出せない、国際援助の問題点、それを受け入れる側の問題点、などなど彼の指摘することは鋭い。

一人のツーリストとしてカトマンズーの街を歩き回った感想を言えば、たしかにこれは大変な所である、通りにはハンセン病で身体の一部を失った物乞いがいるし、特に観光客の多いところには4-5歳と思われる小さな子たちが眼の前に空き缶をおき地べたに座って物乞いしている。
ホームレスの若者が身体の具合がどこか悪いらしく、プラスチックのシートを一枚かぶって道路に寝ている、気になったので三日間朝その前を通ったがいつもそこにいた、街の人々は平気でそのそばを足早に通りすぎる、その場所は東京でいえば銀座通りにあたる。 

やわな一人の日本人旅行者は、マスクなしでは街を歩けない、車の排気ガス、巻き上がる道路のほこり、耳が遠くなったとはいえ鳴り止まないクラクションの音、道路に投げ捨てられた生ごみの放つ臭い、交通ルールがあるのか無いのか、われ先に突っ込む車とバイク。

私をはじめ70歳以上の者は敗戦後日本の都会の混乱混沌ぶりが記憶に残っている、人事として笑えない。