たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入

 私の父親が10羽の鶏から養鶏を始めたのは大正9年(1920)であるから、今年で93年目になる。
その間,第二次世界大戦をはさんで、戦中戦後も人間の食糧にも事欠くなか,飼料をかき集め鶏を飼い続け、そして現在にいたっている。
大正年代の後半から昭和年代のはじめにかけての採卵養鶏の状況について、古い資料にあたって調べてみた。
当時の鶏卵消費量は一人年間25ヶ−40ヶで現在の十分の一くらいであり、驚くことに国内生産量の三分の二に相当する鶏卵が中国(支那)から輸入されていた。その輸入港であった横浜大阪博多周辺の人たちはこの輸入卵を多く食べていたに違いない。
この輸入卵に貴重な外貨を使っていたため、政府は初めて予算をつけ「鶏卵自給増産計画」に取り組むことになった、昭和2年(1927)のことである。
以来、官民協力して10年後の昭和12年(1937)に鶏卵の輸入をほぼゼロにしてしまった。
いま現在、日本の農業分野はTPP問題で大揺れである、しかし我々の先人たちはもっと困難な状況のなか道を切り開いて進んできた、それを思えばたとえどのような状況になろうとも生き残っていく道はあるはずだ。