たまご屋おやじの独り言 中国(支那)卵の輸入 その二

 大正から昭和時代のはじめにかけて、卵は国内需要の三分の一以上が支那卵の輸入でまかなわれていた。
記録によると「当時、わが国の輸入卵の主要積地は上海、天津、青島の三港であった。特に揚子江沿岸地区の村落のものは小舟で上海まで運び、ここで鋸屑、鉋屑で荷造りし出荷したが、破損卵が多く、かつ卵殻の汚染が著しく、、、」とある。
当時、現地で卵が生産されて日本の消費者の口に届くまで一ヶ月以上かかったであろう、それゆえ輸入卵は冬季に多く,腐敗卵の多い夏季は、土用前後になるとほとんど途絶えた。そのため夏になると国産の卵の値段は高騰した、現在の日本の状況とは逆である。
私どものお得意さまであった横浜の鶏卵問屋Y商店は、先代がこの輸入卵で大儲けをしたことで有名である。当時の鶏卵問屋の仕事といえば輸入卵を一個づつ検卵し腐敗卵を抜き出し販売することであった。
いま現在日本国内では、農場で卵が生産されて早ければ翌日にはもう店に並んでいる、最近ではさらに店でも冷蔵してくれるケースが多い。
卵を生で食べる日本の消費者の皆さんは卵の鮮度について世界一厳しい、そのことが生産、流通をふくめて世界一の品質をいやおう無しに造りだした。
まず、これなくしてTPP新時代は乗り切れないものと確信する。