たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(3)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(3)

 猛暑が過ぎて今度は台風が立て続けにやってくる、それも今年はいつもとは違うコースであり気が抜けない。

たまご屋の仕事も長年やっていれば、良い時もあれば台風が来たように悪い時もあった。
そのピンチの時私がいつも参考にしたのは先人たちの智慧であった、まさに「温故知新」。
さて本題にもどる。

<1922年、中国卵の輸入はピークに達したが、それを溯る10年間いつも中国からの輸入卵は国内の養鶏農家を圧迫していた。

当時、鶏卵輸入業者とそれを取り扱う国内の鶏卵問屋筋が消費者を巻きあにか込んで鶏卵の輸入関税撤廃を国会に働きかけた。これが物価高騰に悩む政府を動かし撤廃につながった(192い0−1924年)。当時養鶏農家と関連流通業者の利害対立は激しかった。

政府及び国会では「現在の日本の養鶏の実力では到底輸入卵に対抗することはできないので、むしろ中国卵の輸入関税を撤廃して国民に安い卵を食べさせ、物価下落の呼び水にするほうが良い」との見方が強かった。

これに反発した養鶏農家は、1927年(昭和2年)の世界恐慌とそれに続く日本の農村恐慌のなか、養鶏による現金収入と肥料代節約を目指す有畜農業による自力更生を訴えた。

当時日本の花形輸出産業であった養蚕、お茶、柑橘等が世界恐慌で輸出先を失い農村恐慌につながった。

やがてそれに代わるものとして初めて養鶏は国策として取り上げられた。目的はあくまで疲弊した農村の救済であった。

ちなみに当時の鶏卵摂取量は輸入卵を含めて一人年間34個(1927)であり大変な貴重品であった。病気にでもならなければそれは食べられなかった。>