たまご屋おやじの独り言 2001年8月

たまご屋おやじの独り言 2001年8月


27/August/01

それは中国卵の輸入から始まった(3)

1922年、中国卵の輸入はピークに達したが、それを溯る10年間いつも中国からの輸入卵は国内の養鶏農家を圧迫していた。

当時、鶏卵輸入業者とそれを取り扱う国内の鶏卵問屋筋が消費者を巻き込んで鶏卵の輸入関税撤廃を国会に働きかけた。これが物価高騰に悩む政府を動かし撤廃につながった(1920−1924年)。当時養鶏農家と関連流通業者の利害対立は激しかった。

政府及び国会では「現在の日本の養鶏の実力では到底輸入卵に対抗することはできないので、むしろ中国卵の輸入関税を撤廃して国民に安い卵を食べさせ、物価下落の呼び水にするほうが良い」との見方が強かった。

これに反発した養鶏農家は、1927年(昭和2年)の世界恐慌とそれに続く日本の農村恐慌のなか、養鶏による現金収入と肥料代節約を目指す有畜農業による自力更生を訴えた。

当時日本の花形輸出産業であった養蚕、お茶、柑橘等が世界恐慌で輸出先を失い農村恐慌につながった。

やがてそれに代わるものとして初めて養鶏は国策として取り上げられた。目的はあくまで疲弊した農村の救済であった。

ちなみに当時の鶏卵摂取量は輸入卵を含めて一人年間34個(1927)であり大変な貴重品であった。病気にでもならなければそれは食べられなかった。

21/August/01

それは中国卵の輸入から始まった(2)
 
1922年、中国卵が日本国内消費量の三分の一を占めたことは既に述べた。それを巻き返して輸入ゼロに持ち込んだ努力とはなんであったのだろう?当時、セーフガードによる高率関税などあるわけはなし、どうしたのであろう?

業界の危機に対処した先人たちの努力を振り返ってみよう。

当時の上海卵は揚子江沿岸で放し飼いされていた農家の卵を小船で集め纏めて上海で日本向けに箱詰され出荷されていた。夏季は品質の問題で極端に少なくなり、冬季にそれは集中した。それでも腐敗卵の混入は避けられず、輸入鶏卵問屋はその抜き取りが大事な仕事であった。

一方日本国内の生産体制も主力は農家の10羽前後の放し飼いによるもので、これをかき集めて都市部に供給したが鶏卵の品質は50歩100歩であった。

中国卵輸入の危機をきっかけに、国及び民間による種鶏改良事業、飼育方式の改善(放し飼いから屋内飼育へ)、飼料配合の技術開発、その他に本格的に取り組み、いわゆる近代養鶏の導火線になった。

同時に撤廃された関税25%を5年がかりで復活させたが、やはり一番大きかったのは中国にない品質の鶏卵を安く大量に作るシステムを官民一体で作り上げたことによるのであろう。決して禁止的な保護関税に守られたものではなく、養鶏農家の切磋琢磨と自助努力が最終的にものをいった。

20/August/01

それは中国卵の輸入から始まった(1)

今また中国卵の輸入が問題となっているが、近代養鶏発展の導火線になったのがかっての中国卵の輸入であったことは忘れてはならない。

すこし歴史を振り返ってみよう。

大正11年(1922年)中国卵の輸入はピークに達し国内消費量のなんと33.4%を占めていた。大阪の都市部にいたっては93%が中国からの卵であった。中国の主要積み地は上海、天津、青島の3港であり、当初、集荷包装の点で問題があったが日本の鶏卵問屋の技術指導で解決している。 なにやら最近の中国ネギが日本の技術指導で大幅に品質改善された話にちかい。

きっかけは大正8年(1919年)物価高騰に苦慮した日本政府は鶏卵その他の輸入関税(鶏卵は25%)を急遽撤廃した。以来怒涛のごとく中国卵は殺到し国内の三分の一を占めるに至った。

卵価は暴落し当時養鶏農家への打撃は大きかった。その後養鶏農家のがんばりと政府による「鶏卵自給増産10ヶ年計画」(1927年)があいまって、ついに昭和7年(1932年)中国卵の輸入はほとんどなくなった。それどころか逆にフィリッピン、ロンドン、満州国、その他に鶏卵を輸出していたことには驚かされる。

逆境に耐え、それをバネに技術革新をし日本の近代養鶏発展の基礎をつくった先人に敬意を表せずにはいられない。まさにそれは「それは中国卵の輸入から始まった」のである。

9/August/01

中国産家きん肉等の輸入停止措置の一部解除について 農林省
 
6月8日の禁止いらい丁度60日間、8月7日輸入停止措置が解除された。
http://www.maff.go.jp/work/press010807-1.pdf

中国からの鶏肉、鶏卵輸入が再開される。鶏卵については日本国内の価格が安いときは面白味がないが、秋から冬にかけて価格の上昇につれまた始まるであろう。

この中に「万一汚染された家きんから生産された卵においてもウィルスによる汚染の可能性は低い」また「鶏卵による家きんペストの侵入リスクは極めて小さい」としている。これは大きな間違いである。
日本に輸入されている中国卵の生産現場に立ち会ったことがあるが、もしこの農場に家きんペストの汚染があれば卵のみならず(卵の殺菌工程なし)、農場で箱づめされているため包装容器そっくり汚染されたままで輸入される。

輸入鶏卵業者は日本の養鶏業者に接点を持つ場合が多い。家きんペストの侵入リスクは極めて大きいと考えねばならない。

7/August/01

遺伝子組み替え、是か非か?(5)

日本の反GMOグループは反農薬、反化学肥料農業グループに結びつきやすい。これらのグループに共通しているのは、GMO、農薬、化学肥料のリスクのみを言い立てて、そのベネフィット(利点)を認めようとしないことだ。

農薬、化学肥料には勿論リスクがある。しかしそれを断然上回るベネフィットがあるから利用されている。

世の中、有機農法がもてはやされている。マスコミも日本農業の将来をになう農法であるかのごとくそれをもちあげる。農薬、化学肥料を使用する在来農法が肩身の狭い思いをしている。

しかし現実に農業を支えているのは99%以上在来農法によるものだ。危険であるといわれた農薬つきのそれを食べて良く世界一の長寿国になったものだ、不思議なことだ?

減農薬、減化学肥料に取り組むのが現実的な姿に思える。我が養鶏界にとっても以前は化学薬品、抗生物質に頼らねばやっていけぬ時代もあった。技術革新により今はそれらを使用せずにすむようになった。

GMOグループが活発なのは日本を始め裕福な先進国に多い。割高な非GMO食品が購入できる国にかぎられる。有機食品についても同じことが言える。今日の食料確保に苦しむ国の人たちにとって日本の反GMOの運動はなんと贅沢にうつるであろう。

6/August/01

遺伝子組み替え、是か非か?(4)

GMO賛成派の意見を集約すれば、
1:GMO食品の安全性に問題なし、国家の厳しい安全性チェックをパスしている。
 むしろアレルギー源としては伝統食品(非GMO食品)に問題あり。
 同じ安全性のチェックをすれば問題になるのはむしろ非GMO食品。
2:GMOは除草剤、殺虫剤の使用量を大幅に節減でき、自然に優しく、生産コストの節減につながる。
 生産農家がGMOを選ぶ最大の理由はこれである。
3:GMO反対派は飢えを知らない人たちであり、今日の飢えを放置し明日の安全をうたい文句にすることは明らかに間違い。(GMOは収穫増に寄与)
4:GMO反対派はそのリスクのみを言いつのり、利点については議論しようともしない。

賛成派の意見の代表として愛媛大学の安部俊之助先生のHPを参考にしました。
http://web-mcb.agr.ehime-u.ac.jp/gmo1/default.htm

1/August/01

遺伝子組み替え、是か非か?(3)

日本のGMO反対グループの理由を整理してみます。
1:安全性に問題
 GMOの安全性に不安、特に長期摂取が人体に及ぼす影響不明
2:表示がない  
 GMO使用の表示があれば消費者は選択可能 
3:生態系に対する影響
 新種の植物による自然界のかく乱の恐れ
4:海外種子産業による独占の恐れと日本農業の荒廃
5:巨大企業による食料支配の恐れ

中心になっているのはあくまでも食品の安全性です。

ヨーロッパの反対運動はもっと政治的です。表面的には同じく食品の安全性を唱えますが、実はアメリカとEUとの穀物戦争なのです。
この点については中西準子先生(横浜国立大)のHPに詳しい。
http://www.kan.ynu.ac.jp/~nakanisi/

日本の反対グループがGMOのリスクのみを強調し、ベネフィット(利点)を取り上げないのは理解に苦しむ。新しい技術には必ずリスクがともなう。しかしベネフィットが圧倒的に多ければそれを人類は採用してきたし、リスクを最小にする努力を重ねてきた。