たまご屋おやじの独り言 2003年4月

たまご屋おやじの独り言 2003年4月


27/April/03

入れたら出せ

あまり品の良くないタイトルだが、先日ビッグサイトの「東京国際ブックフェア」をぶらぶらうろついていたら面白い若者たちの話を聞いた。インターネット時代の読書の楽しみ方について、3人の若者が会場でパネルデスカッションしていた。

「読書は丁度ものを食べるみたいに、入れたら出さなければならない。でないと詰まってしまうし、出せば出すほど入りが良い。」
つまり読書によって知識を詰め込むだけでなく、これを自分なりに形を変えて吐き出せ、排泄せよと言葉は悪いが言っているのである。

「その吐き出す方法にインターネットはうってつけ。」
と話していた。

一人の若者松山君は趣味で一年に200冊読みその書評をメルマガで発信している。読者は8000人を超える。
http://www.netpro.ne.jp/~webook/

もう一人の独身の彼女、相原さんは美女13人のナビゲータとともにセンスのある書評を書きまくる。
http://www.hon-cafe.net/

司会をしていた田口君は傑作でとにかく
http://www.100shiki.com/
を見て欲しい。

そこには新しい時代の読書の楽しみ方を予感させるものがあった。

16/April/03

エックロード博士の話 その1

4月11日、東京でペンシルバニア大学のエックロード博士の話があった。博士はアメリカの鶏病問題についての第一人者である。実際にアメリカ東部地区に発生したAI(トリインフルエンザ)の防御の先頭にたち、大羽数の殺処分など困難な仕事をやりとげた実績をもっている。

東京に来る直前に、カリフォルニアでいま燃え盛っているEND(ニューカッスル病)の防御特別チームのメンバーとして活躍されていたと聞く。話にはさすが迫力があった。いざAI、END発生となると現場では強権をもってこれを殺処分をしなければならない。そこには生産者、行政、学者の混乱、対立がどこでも起きうる。これはアメリカ、南米、ヨーロッパ、日本いずれも同じと想像できる。

博士の話を聞いてて痛感したのは、民、官、学の意志の疎通と情報の共有である。今世界中で起きている鶏病の実態とそれを防御した方法の成功例、失敗例の調査の必要性である。民、官、学、それぞれの立場で情報を収集し、議論し、合意点を見つけておかねばならない。これが日本でAIが発生した場合のパニックを最小にする方法の一つであろう。

その意味でこの?ジェイ アール シー主催のセミナーは「鶏病研究会」の谷口理事長を始め諸先生がた、生産者の皆さんを交えての会合であり有意義であった。

16/April/03

イザベラ・バードと卵 その2(4/6)

前回、明治11年イザベラが歩いた東北地方の農村では鶏の食用は一般的ではなく、その入手に苦労した話をしました。私の畏敬するニワトリ博士の得猪さん(コケコッコーでおなじみ)にこのあたりの事情を教えてもらいましたところ、やはり江戸時代中期まで日本人は鶏を食べる習慣がなく、これは古くは天武天皇(675年)の仏教の教えにもとづいた食肉禁止令に遡るという。

「昔の漆黒の夜は想像もつかぬほど恐ろしさで、悪魔妖怪の跋扈する世界だった。それを突き破る一番鶏の声は夜の魔性を打ち払う力があるとされ、鶏を食べることなどとんでもない事であった」
また
「殺生肉食の詔が正式に宮中で解禁になったのは明治5年のこと」
だそうです。

食肉禁止令の対象となっていなかった雉、鶴、雁、鴨、鶉、雲雀、、、などはおおいに食べられたが、鶏はおおっぴらには食用にされなかった習慣が残っていて、イザベラは鶏がなかなか手に入らなかったようです。

16/April/03

イザベラ・バードと卵(3/30)

迂闊にも私が彼女の名前を知ったのはごく最近のことである。イザベラによって「日本奥地紀行」(平凡社)が書かれたのは明治28年であるからもう130年近くたっている。

明治11年、イギリス人の彼女は47歳のとき単身日本にやってきて3ヶ月かけて東北、北海道を旅行しているから元気の良いオバサンである。日本人の青年通訳をつれて人力車、馬、徒歩、舟で旅行するわけだがその紀行文が実に面白い。同時代の日本人による紀行文はあるようだが、その観察眼が違う。

夏の旅であったから行く先々田舎の宿屋で蚤、蚊の大群に襲われる。当時の日本人であったならそれは当たり前のことであったから記録には残さなかったであろう。事々左様に実に鋭く当時の生活のことなど記録に残している。行く先々で、当時東北の山村では生まれて始めて見る"異人さん"に村中の人が集まってしまい大騒ぎになる。山形の米沢平野を東洋のアルカデァ(桃源郷)と誉めたかと思うと、道中山村のあまりの貧しさに触れこの状態から未来永劫に抜け出せないだろうとこき下ろす。

その中に鶏と卵のことが書いてあった(商売、商売!)。イザベラは旅行中自分の口に合う食べ物に不自由し、もっぱら鶏と卵を道中調達し愛用した。ところが鶏を食べる為に売ってくれと言うと売ってくれない。卵を取る為と言えば売ってくれたとある。つまり当時鶏はあくまで卵をとるためのものであり、肉用ではなかったに違いない。あるいは殺すことを忌む宗教的なものかも知れない。

当時、警察官の月給が6円から10円していた時に、鶏1羽と卵1ヶの値段は20銭、2銭したとある。さしずめ今風に換算すれば鶏1羽5000円と卵1ヶ500円と言ったところか!?


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