加守田章二展を観る

先日、弟のTに誘われて一緒に東京駅のギャラリーで加守田章二展を観た。

「加守田章二?」
私は迂闊にもその名前も、何をした人かも知らなかった。弟とは同じ仕事を一緒にやっているが、趣味のことになるとまるで違う。彼は若い時から陶器の世界に興味を持っていた。長い年月一つのことに興味をもっていると、その分野での蓄積は自然と大きくなる。自分の眼を信じて、まだ若い無名の陶芸家の作品を彼は集めていた。別にそれで利殖をしようというのではない。その陶芸家が予想どおり大化けすることが醍醐味らしい。

ギャラリーには加守田章二が50歳でその生涯を閉じるまでの作品が年代別に並んでいた。それはあたかも加守田章二が自分の生命を凝縮したかのように置かれていた。今まで私も陶器の展示会を見なかった訳ではないが、ここでは鬼気迫る異様な感じがした。年代ごとにその作風がまるで違うのである。常に新しいものにチャレンジすることがどんなに困難なことか私には想像もつかないが、命を削るようにして毎年生み出されたその作品群に頭をどやしつけられたと言ったほうが正直な気持ちだ。

弟は蒐集した陶器類を夜一人静かに観ていると、気が休まると言っていた。それを私は爺くさい趣味だなと茶化していたが、この世界はのめり込んだら底がない恐ろしい世界であることがおぼろげながら判った。