たまご屋おやじの近所付き合い  その三

旅行メンバー最長老の内田さんは85歳になる。旅行には三つ違いの奥さんも一緒だ。年に一回行われる町の連合老人カラオケ大会にはいつも大字代表ででるほどの美声の持ち主である。夕食時にはお酒も手伝って全員の一大カラオケ大会となる。時間に制限があるから早いもの勝ちで、歌いたくないない者を無理やり薦める必要もないから世話役も楽である。その晩も盛り上がって「船頭小唄」を全員で唄っていると、「もう時間ですよ」と宴会打ち切りの合図がきたほどだ。

元気な先輩たちを見ているととにかく明るい。歌が上手かろうが拙かろうがとにかく飛び出して唄う、そして大きな声で話す、いつも笑っている、良く飲み食べる。元気であるからそう出来るのか、そういう生活パターンがその人を元気にしているのか知らないが人さまざまである。

特に櫛挽開拓地の先輩たちは、第二次大戦中生死をわける修羅場を潜り抜け、つづく戦後の開墾に身を削ってきた人たちである。どこか突き抜けた明るさを持っていると同時に人に言えない悲しみを背負っている人が多い。

私の好きな小池婆さんも85歳だ。いつもニコニコしていて端然としていられる。あまり自分からは話さないが、聞けば想像を絶する世界を生き抜いてきた人だ。宿で全員の集合写真を撮ることになった時、小池婆さんは「私は写真は嫌いだ」といって頑として加わろうとしなかった。その時はじめて小池婆さんは悲しい顔をした。写真にまつわる悲しみの記憶がよぎったのかも知れない。仲間の人たちは無理強いしなかった。