信用を失う

今回私ども愛鶏園の引き起こした事件で何が恐ろしいかと言えば「信用」を失ったことである。
先人曰く「信用を得るのにはそれこそ何十年かかるが、失うのは一瞬である」、いざそれを失ってみるとまさに愕然とする。
それは目の前の強固なビルが音を立てて崩れていくというか、まことに恐怖そのものであった。
事件を境に長年の取引のあった取引先が手のひらを返したように去っていく、また事件に関係なく平然と取引を続けてくださるお得意さんもいてくださる、まさかと思うことが次々に起こった。
「信用」を失うとはそういう事なのだ、悔やんでも悔やみきれない。

そのためか私自身一時ノイローゼ気味にすらなった。
しかし仕事をしている者にとって、何時までも起きたことを悔やんでいても始まらない。
いま失った「信用」を取り戻すには最大の努力をしても長い年月を必要とする、この仕事を引き受けるであろう次の世代には大変な負の財産を残してしまった。

私の畏敬するK先輩から「神様から試練を与えられるということはまだまだ見捨てられていないと言うことでしょう」というMailをいただき、とても嬉しかった、先輩は筋金入りのクリスチアンである。

そうだ他人には出来ない試練を与えられていると考えれば良いのだ、これを乗り切れば新しい境地に到達出来るかも知れない、負の財産どころか宝の山になりかねない。
先輩の言葉を自分に都合のよいように解釈してしまったのだが、今度お会いした時「これはこう言う意味だ」と叱られるに違いない。
まことに先輩は有難い。