ケータイを持った爺

朝飯をすませてから用があっても無くても農場の事務所に行く。
若い連中は忙しそうに打ち合わせをしている、こっちはおもむろにパソコンのスウィッチを入れる。
メールをチェックする、仕事関係のそれはもうほとんど来ない。
どういう訳だかこのところ迷惑メールがやたらに多い、それもほとんどアダルト系だ。
この爺さんをいくら誘っても無駄だと思うが、毎日しつこくやってくる。

朝一番の仕事がこの迷惑メールの退治とは腹だたしいが、ときどき大事なメールまで消してしまい、慌てることがある。
返事を書き終えると、ネットに移る。
マークしておいたサイトを順繰りに見てまわる、特に最近は韓国で再発した鳥インフルエンザに眼を離せない。
有難いことに韓国の主要日刊紙が日本語で読めるし、ハングル文字でも翻訳ソフトを使えばそれなりに解読できる。
爺さんは時間があるから、いろいろなニュースを仕入れられる。

一週間ほど前、ケータイ電話を老人用のそれに変えた。
とにかく文字がでっかくて助かる、老人用のそれと言っても侮るなかれ、いままで使っていたものより数段進化している。
マニュアルを見てもあまりに機能が多すぎて使いこなせない。
とりあえず今までどおり電話機能だけを使うこととする。

以前「ケータイを持ったサル」という本を読んだことがある、たしかケータイと幼児化する若者を指摘したものと記憶するが、老人にとってはケータイは命の綱である。
いつも誰かに繋がっている安心感は若者には幼児化であっても、私らにとってはいつ何処で倒れても大丈夫という安心感になる。
こんどカミさんのケータイに始めてメールを送り驚かしてみよう。