「木もれ陽」

近所に住むKさんが一冊の本を持って現れた。
題名は「木もれ陽」、コモレビと読むのであろうか著者は亡くなられた奥さんの名前になっていた。
聞けば表紙の絵はKさんがスケッチした富士山の遠景であり、紫色に遠く霞んでいる見事なものであった。

Kさんは慣れない私を山歩きによく連れ出してくれる、彼は私より少々若いがまだ現役で仕事をしている。
昨年の二月奥さんを亡くされた、その時「その悲しみはなって見ないとわからない」とぽつり言い私は言葉を失った。
彼が奥さんの遺品を整理していたら、大病をしてから始め十年間書き溜め投稿していた短歌が出てきた、それをはじめて彼は読み大変心を打たれた。
その止むに止まれない気持ちが「木もれ陽」の自家出版になったのであろう。

「夏雲の亡き母に似た形せりベッドの上の限られた視界」
「目覚めれば重き身体にとりつかれ何を思いて今日を生きんと」
「夫と来て交わす言葉もなきままに湖面に群れる渡り鳥みる」
「ネット裏夫と連れだち歓声をあび滑り込む孫の汗みる」

一冊の短歌を一気呵成に読んだ、そして涙した。
Kさん夫婦は私のカミさん共通の友達である、もう30年以上になるであろうか、「木もれ陽」を読んだカミさんも同じ思いであった。
歌の上手い下手はわからない、がその思いは強烈に伝わってくる。