秩父歩き遍路 その六

秩父駅から小鹿野町行きの西武バスにのり小鹿野警察署の前で降りた、ここから歩きだして大日峠を越え32番法性寺に着く予定だ。
谷川を越え、人一人やっと通れる鬱蒼とした遍路古道を登りはじめた、「熊出没注意」と立て看板があり、肝を冷やす。
遍路鈴をやたらに振り回し、大声を出しながら一時間半、やっと法性寺にたどり着く、この間誰一人として、人に会うことはなかった。

納経をすませ奥の院を訪ねることにした、さらに30分ほど急な山道を登り、最後に鎖つきの岩場をやっとのことで登りきる事ができた、札所遍路最大の難所といわれる所だ、頂上はやっと二人が岩の上に座れるスペースしかない、もっと正確にいうとそこには等身大の観音様が祀られているので大人3人が座ればもう余裕がない。
少々高所恐怖症の気があるので、あたりを見回す余裕はない、早々に岩場を降りることにしたのだが、降りはもっと恐ろしかった、相棒のKさんはいとも簡単にひょいひょいと鎖にぶらさがりながら降りていくのに、こちらは次の足場が決まらない、岩場を降りるだけで脂汗と冷や汗でぐっしょりになってしまった。

今までに札所30ヶ所をまわったことになるが、法性寺奥の院はまさにそのハイライトであった、正直秩父にはこんな凄いところがあるのかと驚いた、昔から現在にいたるまで人々の信仰心を集めることができる理由が、なぜか判るような気がした。

今まで歩きながら考えていたことだが、その土地がもつ神秘性というか霊性のようなものは、現代人はそれを感じ取る能力が衰えたといえ脈々と続いている、そして人の通らない山道を歩いていると、だんだんその「感」みたいなものが研ぎ澄まされてくるようだ。
まして江戸時代、歩き通してこの地を遍路した人たちの「感」は、我々より数段上手と考えて良い、同じ法性寺奥の院を訪ねてもその感激はもっと大きかったに違いない。

法性寺から町営バスに乗り駒木野まで行き、歩いて途中柴原温泉の「柳家」で風呂だけ入れてもらった、昼飯を食べたかったが前日予約をとっていないため駄目。
さらに歩いて白久駅ちかくの30番法雲寺に行き納経する、帰りに秩父駅により新装なった「武蔵屋本店」で「ごまだれの盛り蕎麦」を食べる、今日はニケ所の納経だけであったが、充実感は大きかった。