ぶらりクロアチア ドブロヴニク(Dubrovnik) 一

今回の旅の目玉はドブロヴニク(Dubrovnik)を訪ねることにあった、出かける前はその都市の名前すら知らなかったが、「アドリア海の真珠」といわれ、ヨーロッパの人たちには昔から人気のあるスポットらしい。
この町にゆっくり三日間逗留した、若いときには寸暇を惜しんで駈けずり回る旅に満足感を覚えたが、もう身体がついていかない、メンバーの人たちも同じ年代なので事情は変わらないようだ、グループ旅行で体調をくずすと当人は勿論のこと眼も当てられない状況になる。
それでも同じ宿屋で何日間か過ごせると体調をとり戻せる、旅行会社も心得たもので要所要所に心くばりをしてあった。

さてドブロヴニクだがヨーロッパの中世時代から特異な存在感を持った城砦都市であった、周囲2KMの堅固な城壁で囲まれていて、その中に中世の生活のすべてが詰め込まれていた、今でもその中で人々は暮らしている。
この都市が最も輝いた14−15世紀の頃、ここは海洋都市として交易で栄えた、背後に険しい岩山を控え海にせり出すようにして街は造られた、中世の頃クロアチアの主要都市はオスマントルコの侵入を受けその支配下にあったが、このドブロヴニクだけは独立を守った、一時は共和国として独立していたこともある。

ドブロヴニクは土地持ちの貴族による支配ではなく、交易によって力をつけた商人たちによって運営されていた、当時のバルカン半島は常に民族間で激しい権力の争いがあり、自分たちを守るには堅固な城砦都市をつくり敵の侵入に備えなければならない、商人たちは莫大な金を使い世にも稀な都を造り上げ、自分たちの命と自由を守った。
要塞の壁にはラテン語で15世紀ころ書かれた文字が残っている、「黄金より自由が必要」という意味だそうだ。

昔は自分たちの命を守った城砦都市が今では世界遺産として市民の経済に貢献し、世界中から押し寄せる観光客で街は潤っている。
2000年近くも街がしたたかに生き残るとはこういうことか、、、。