ぶらりクロアチア 神々の争い

クロアチアの古い町々を歩いていると驚くことにぶつかる、スプリットの町を訪ねた時のことだが、ここは古くはローマ時代(AC300年前後)に建設された城砦都市がそのまま残り、時代が変わるとともに新しい建造物が付け足され、あるいは改造されているが基本設計はローマ時代そのままという、聞いてみると、ローマ遺跡の跡にロマネスク、ゴシック、ルネッサンスバロック様式の建物が付け加えられて今の城砦都市が出来ている、どれがどれだかよく分からぬがとにかく2000年近くの歴史がこの町には詰め込まれていて、今もなお息づいている。

もともとこのスプリットの城砦都市はローマ皇帝デイオクレテイアヌス帝の隠居用に作られたものだが、当時の皇帝は引退しても常にその命を狙われていたらしく城砦の跡は堅固そのものである、ここは自らをギリシャ神話の最高神ゼウスの子と称し神格化した絶対権力者の終の棲家であった、ここにはそのゼウスを祭った神殿の跡も残っている。
皇帝は当時勢力をじわじわと伸ばしてしていた新興のキリスト教に恐れを感じ、弾圧し教徒を虐殺した最後のローマ皇帝としても知られている。

歴史の動きはめまぐるしくデイオクレテイアヌス帝が引退して8年後、ローマ帝国は体制維持のためにあれほど弾圧したキリスト教を手のひらを返したように体制内に取り込んだ、つまり国教としたのである、キリスト教の勢力拡大を無視できず、逆に体制維持のためにそうせざるを得なかったと歴史は伝えている。
そこにあったデイオクレテイアヌス帝の霊廟は取り除かれ、その棺はいまだに行方不明だといわれる、この跡にはキリスト教の大聖堂が建てられ替わりにデイオクレテイアヌス帝によって殺された司教聖ドミニウスの棺が祭られている、またゼウスを祭った神殿跡にはキリスト教の洗礼堂が建てられていた。

まるで歴史の教科書の中の世界が眼の前に現れたようだ、言い方は適切でないが神々の争いを見るようでしばらく呆然としていると、かの快老人の姉妹がスタスタと通り過ぎていく、こちらも慌てて二人の後をついていった。