ぶらりクロアチア ドブロヴニク(Dubrovnik) 三

ドブロヴニクに滞在していた時、夕食後有志で民族舞踊を観に出かけた、会場は城壁に囲まれた旧市街の外で海に面した古ぼけた建物の地下室にあり、300人は収容できるだろう、周囲は石の壁でかこまれ、なにか異様な雰囲気のある場所であった。
民族舞踊はとても楽しかったのであるが、その場所が気になっていたので後で聞いてみた、するとそこは17世紀に建てられた伝染病の検疫所があった場所であるという、、交易で栄えたドブロヴニクは人、物の移動が盛んであった、14世紀になってヨーロッパではペスト(黒死病と当時呼ばれた)が大流行し人口の三分の一が失なわれたと言われる、このドブロヴニクもこれにやられた。

どれほどの被害があったのか定かでないようだが、当時城壁のなかに密集して人々が住み、衛生状況も良かったとは言えない、中世時代ヨーロッパの主要都市では生活汚物を二階から道路へ投げ捨て回収することは当たり前の処理法であった、ドブロヴニクの旧市街でも道路の石畳に汚物処理用と思われる溝が残っていた、伝染病が蔓延するには格好の環境であったのである。
あとで判ったことだが、このペスト菌は一旦国外から持ち込まれるとそれがネズミに拡がり、さらにそれに寄生する蚤によって一気に人間に伝染が拡がる、ドブロヴニクは当時街の存亡をかけてこれと戦った、検疫所はその名残であったのである。

長い間鶏を飼う仕事をしていると、鶏のみならず人間様の伝染病についても気にせざるを得ない、昨年私どもは鳥インフルエンザでひどい目にあったから尚更である。
ドブロヴニクはどんなに頑丈な城砦を造ってもペストだけは防げなかった、ペストによる死体の増加に人々は恐怖のどん底に追いやられたであろう、原因の分からない死病は魔女のせいにされたとさえ言われる。
以後、ドブロヴニクは検疫を強化し、長い船旅を終えて海外から到着する乗客、船員を40日間検疫所に拘留しペストの潜伏期間の過ぎるのを待ってから上陸させた。
当初、検疫所は沖合いにあるロクルム島に造られたが、間に合わずこの検疫所が建設されたという。

やく一時間ほどかけて小さな舟でこの小島を回ってみた、沖合いから見るとドブロヴニクの城砦都市の凄さが判った、この島は現在無人島で古い教会が残されているのみ、今ではむしろ海に突き出た岩場はヌーディスト ビーチとして世界的に有名だそうで、あわよくば拝見できるかと期待したがその季節は終わっていた。