根尾の薄墨桜

幾つになっても桜の花が咲く頃になるととそわそわしてくる、むしろ最近のほうがそれが激しくなったようだ。
70歳を超えると仲間がぼつぼつと欠けてくる、いつ自分の番がやってくるとも限らない、心配したところでどうにかなる訳ではないが、そんな気持ちがそうさせるのであろう。
これまでは考えたことも無かったが、ひょっとすると今年の桜が見納めになるかもしれないという思いがあるからだ、更に歳を重ねるにつれて毎年その思いが更に強くなるのであろうか。

幸い桜の花を楽しむ時間はある、同じ思いにかられたのか三組の老夫婦が根尾の薄墨桜を訪ねた、この千年を超えてなお咲き続ける姥桜に驚嘆し、しばらく見とれていた、この桜は満開を過ぎてその散りぎわの花の色が特に美しいといわれる、幸運にもその時期に近いのかもしれない、あたりには勢いのある同じ江戸彼岸桜が数多く見られたが、この薄墨桜はその貫禄が違っていた、比べてみてはじめてその凄さが分かった。

なるべくその樹に近いところに腰を下ろし弁当をひろげ、むすびをほう張りながら何度と無くその美しさに見とれた、三組の老夫婦の一致した意見は、樹の勢いの良いソメイヨシノの花もたしかに美しいが、もうこの歳になると断然老木の江戸彼岸にかぎると話しは落ち着いた。

千年以上にわたって毎春人々に愛でられ大事にされてきたこの樹には、とてつもないパワーがあるようだ。
そのおすそ分けを頂いた我々は、早くも来年の花見の計画を立てていた、「来年は三春の滝桜にしよう」まるでこの桜の精が乗り移ったみたいに皆元気がでた。