ぶらりトルコ 6 パウロ

キリスト教を世界的な宗教にしたのは新約聖書に多く記録を残しているパウロと言われている、彼の生まれ故郷は現在のトルコ国内Tarsusで、地中海沿岸のシリアに近い。
新約聖書にはパウロのことが書いてある、はじめ熱心なユダヤ教徒キリスト教徒を迫害する立場にあったがイエスが磔にかかり殺されたあと、その弟子たちを拘束するために向かう途上、幻のうちにイエスと衝撃的に会い改心してキリスト教を異教徒に広めたとある。

新しい聖書(共同訳)の付録にも見られるが、パウロの三回にわたる伝道旅行はその地図に足跡が記されている、それによれば彼の旅行の中心は現在のトルコ国内である、聖書に出で来る地名が今でも残っている、カパドキア、アンテオケ、クプロ(キプロス)、、、のちにアテネに行き、そして最後にローマに渡りそこでで殉教したとされている。
私が居眠りをしながらバスで通り抜けた処を二千年前、徒歩でそれも常に命の危険に晒されての伝道旅行とはどんなものであったろうか。

聖書はなんど読んでもすぐ眠くなってなかなか頭に入らない、なにかまったく別の世界のことが書いてあるようで正直なところ私には遠い世界であった、トルコを旅して現実にその道をパウロが歩き、今はローマ時代の遺跡だが当時は栄華を誇っていた都市に新しいキリスト教を持ち込みパウロが伝道した、、、聖書の中の物語りが俄然現実味をおびて来た。
皮肉なことにパウロが種を蒔いたキリスト教は現在のトルコでは実を結ばず、遠くローマを中心とするヨーロッパで急速に拡大した。

なぜか分からないがトルコを旅しているとしきりに宗教のことを考えさせられた、あるいは単に歳をとってからの旅であったからなのかもしれない。
ユダヤ教からキリスト教が生まれ、さらにイスラム教が生まれた、元は同じ神なのである、ユダヤ教は世界的な広がりをしてないが、キリスト教イスラム教は世界中に拡大した、その訳は?そして仏教は?旅から戻り新しい宿題にとりつかれた。