ぶらりトルコ 番外

すこし「トルコぼけ」していたので、元に戻すために日本の仏教のルーツ奈良、日本の神様の元祖である伊勢を歩いてきた。
近くにある弘光寺の本山参拝団に便乗させてもらい、バスで3日間奈良、伊勢をまわる旅で、参加者は高齢者が多いにもかかわらずかなり強行軍であった、朝の6:30に深谷市を出て奈良の長谷寺に着いたのは夕方の4:30で一日中バスに揺られていた。

道中見慣れた景色であるが、トルコを同じくバスで3000Km以上走った後だけにとても新鮮に映った、草木が一本も生えてないごつごつした岩山が多かったのに比べて日本の場合は例えそれが道端の雑草であろうとも緑で美しい。
奈良まで、連なる山々、丘、平地にいたるまで緑、また紅葉の始まった樹木で覆われている、それがなんとも美しい、日本人なら誰でもそれが当たり前のことと思っている。

イスラム教はキリスト教と同じく一神教である、アラーの神は絶対である、他の神々を同時に崇拝することはあり得ない、人間の作った偶像の存在も認めない。
我々日本人は普通お寺を参拝するし、同時に神社もお参りする、現にこの長谷寺参拝団は帰りに伊勢神宮をお参りした、一行も別に不思議に思わないでごく自然に両方ともお参りし、お賽銭をあげている。
かく言う私はクリスチアンの家庭で育ち、まだ洗礼は受けていないが、近じかそれを受ける覚悟をしている、それが平気でお寺にも行きお宮さんにも行く、まことに日本人的である、私の親父もそうであった。

宗教について日本の常識が世界の非常識、あるいはその逆なのかも知れない。
日本のような豊かな自然と美しい景色は日本だけのもので、世界中当たり前のものではない、同様に良い悪いは別にして宗教に曖昧な考えでいられる国は日本だけなのかも知れない。
一方厳格で曖昧さを許さないイスラム教とキリスト教は世界中で長い年月、お互いに戦争をし殺しあっている、お互いに自分たちの神が絶対であると信じているのだから訳が分からない。