年男

72歳、年男の今年もどうやら無事に終えそうである、それだけで嬉しい。
頭はボケてくる、身体はあちこち言うことを聞かないし、立派に老人となってきた。
若い時に老人のことを分かってほしいと言ってもそりゃあ無理な話で、歳をとってみなければ実際のことは誰にもわからない、私もそうであった。

歳をとれば悪いこともあるし、良いことだってある。
私の場合、なんと言っても嬉しいことは自分の自由になる時間のあることに尽きる、仕事に追われた現役の時、あれもしたいこれもしたいと思っていたが、いざ時間があるとなってもやれる事は意外と限られる、時すでに遅しのことだってある。
いまやっていることは、興味の趣くままに「ある事」を調べ、実際に現地に足を運び確認しまた調べ直す、そしてそれを繰り返す、「ある事」とはまことに支離滅裂で、ある時は「隠れキリシタン」であったり、「イスラム教」「世界の穀物事情」、、、だったりする。
別に後世に残る論文を書こうというのではない、ただ楽しく面白いからやっているだけなのである。

有難いことに、我々はやっとネット(インターネット)に間に合った世代である、極端な話しこれがあれば楽しい老後が過ごせそうだ、丁度私たちの両親がテレビ時代に間にあい大いにそれを楽しんだようなように。
ネットはむしろこれは歳をとるほど必要なものとなる、衰えた頭の働きや記憶力を補うにはうってつけのものだ、それを可能としたPC(パーソナルコンピュータ)の価格は驚くなかれ電卓の価格なみに低下してきた、これを使わぬ手はない。

いま覚えていたいことなどを Google mail に全部ぶちこんでいる、これを駄目になってきた自分の脳味噌代わりにしようというのだ、つまり補助脳である。
この新しい脳は癪に触るが、記憶力は自分のそれより数段優れている、またそれを取り出す検索能力でも勝負あったである、これは自分のPCの中に蓄えている記憶でなくネット上にあるので世界中何処にいてもPCがあれば呼び戻せる、若い時には想像もできなかったことが現実に出来る、まさに生きてて良かったなのである。