ぶらりトルコ 5 アザ−ン

ぶらりトルコ 5 アザ−ン                     

トルコを旅しているとモスク(礼拝堂)から礼拝の時を知らせるアザ−ン(呼びかけ)の声にびっくりする、それは拡声器で街中または村中に轟き渡る。
敬虔なイスラム教徒は日に5回礼拝を怠らない、モスクに行ける人は行き、自宅その他どこでも礼拝している、道路のそばに敷物をひきメッカの方向に向かって礼拝しているのを良く見かけた。
ガイドのメリハさんは仕事がら日に5回とまでいかないが、それでも私たちに目立たないように礼拝をしていた。

コンヤという街を訪ねたとき、幸運にもモスクで人々が礼拝している所に立ち会えた、普通はなかなか異教徒にはそれを許さないものらしい。
モスクのなかはガランとしており青色のタイルの幾何学模様が眼につく程度でなにも装飾品はない、建物はメッカの方向を示す構造になっており、その方向に向かって人々は人々は跪き、頭を地にすりつけて礼拝を繰り返していた。
女の人を見かけないので聞くと、男女同席でなく同じモスクの女性専用の場所で礼拝しているとのことだった。

日本の神社仏閣で善男善女がお参りしている姿とはまるで違う、なにか皆ものに憑かれたように祈りを繰り返している。
なにをあんなに熱心に祈っているのかメリハさんに聞いてみた、それぞれが日本のように勝手に自分の願いごとをしているのではなく、決まった祈りを決まった言葉で唱えるのだという、それもトルコ語でなくアラビア語で、それならその祈りの意味は?
要約すると、われわれの神アッラーは偉大である、アッラーの他に神はいない、偉大なる神に栄光あれ、神様私を許してください、マホメッドは神の使徒である、皆に平安と神の慈悲がありますように、、、となる。

強いて言えば日本人が仏前でお経をあげている姿に近い、毎日毎日祈りの言葉を繰り返していれば最初のうちは良く分からなくとも時がたつと身体にしみこんでくる、これが信ずることの強さであり怖さであろう。
世界宗教としてのイスラム教は今や強大な勢力を持っている、これに属する国の人々は朝に夕にまたそれ以上に祈りを続けている、それも強烈に。
日ごろあまり考えたことの無いことをトルコの旅は気付かせてくれた。