ぶらりトルコ 1 日本贔屓

2週間ほどカミさんとトルコをうろついてきた、老人向きのパック旅行であったのでわりとゆっくり出来た。
それでも3,300KMをバスで走り抜けたのでやはり疲れた、メンバー13人の平均年齢も70歳に近い、バスで移動中は居眠りの連続であった、正直なところ珍しい異国の風景を見に行ったのか、居眠りしに行ったのかわからない。

トルコはまったく異質な国である、数少ないが今まで訪ねたどの国とも違う。
国土は日本のやく2倍、そこにやく7千万余の人が住んでいる、そして99%の人たちはイスラムスンニ派である。
そういえばどんなに小さい村に行っても鋭い尖塔をもったイスラム教の教会が見える、丁度日本中どの村にもお寺があるように、いやそれよりも分かりやすい。

2週間、私たちを現地案内してくれたメリハさんは30代前半の女性であるが、なかなかの愛国者である、短期間日本で研修を受けたと言うがとても日本語を良く理解しているし、特に自国の歴史を勉強している、そしてそれらを誇りに思っているので聞いてて気持ちが良い。
私たちのトルコ語はにわか覚えのGunaydin(おはよう)とGule Gule(ありがとう)しか分からないのだから、大部分彼女を通してトルコを理解することになる。

彼女はいきなり私たちに聞いた「明治時代トルコの海軍使節650余名を乗せた軍艦が和歌山県串本沖で難破し、串本住民の懸命の救助作業で70名余が生存出来たことをトルコ人は覚えていて日本人に好感をもっている、そのお返しにイラン、イラク戦争が勃発したときトルコは危険をおかして日本人救出のためトルコ航空を飛ばし危機一髪で間に合った、小泉首相がトルコに来られたときその機長に会ってお礼を言われたのです、このことを知ってますか?」。
恥ずかしい話だが私をはじめ多くの人たちはこの話を知らなかった、ことほど左様にトルコのことについては無知無関心であった者が始めてこの国を旅させてもらい、驚くことばかりであった。