ぶらりトルコ 3 母神像

いま私の机の上に粘土で焼成された母神像がある、高さは20cmほどで本物に似せて作られたレプリカである。
アンカラにあるアナトリア文明博物館を訪ねたとき、私がこの像の前で釘づけとなり動かないものだから、カミさんが珍しく気を利かせて後でこっそりお土産屋の屋台で500円ほどで手に入れたものだ。

丈夫そうな裸の女が椅子に腰掛けている、巨大な乳房と尻がまず目に付く、肩も腹部も堂々としている、豹と思われる動物をかたどった肘掛に手を置き前を見渡している、素朴な造形であるがなんらかの権威を表しているに違いない、聞けばなんと紀元前5750年頃のもので多産と豊穣を願って造られた母神像であるという。

気の遠くなるような古い時代の遺跡を歩き回っているうちに気がついたことがある、まずその時代時代に一番大切にされたものが後世に遺跡として残る可能性が高いこと、それは祭壇であり規模が大きくなれば神殿、教会につながっていくだろう、そして墓所、廟になるのであろうか。
もちろんトルコ国内にはギリシャ、ローマ時代の娯楽施設である劇場、闘技場、浴場などが数多く残っているが、なんと言ってもその宗教に関する遺跡が多いことに気がつく。
どの時代にも共通して言えるのは、人間の力ではどうする事も出来ない自然の大きな力に対する畏怖がさまざまな神を生み出し信仰の対象とされたのであろう、各部族はそれぞれの奉ずる神に祈願して生存をかけた戦をしたに違いない。

裸の母神像をはじめ、いつの時代であっても人間は何かに祈り続けてきたようだ、それがなんであろうが人はそれを「神」と呼ぶのであろう、そのことが絶えることなく、眼にしただけでも6000年近く連綿と続いてきたことに衝撃を受けた。
最初は小さな部族の守り神として始まり、それが淘汰精錬を繰り返すうちに現在の世界的宗教(キリスト教イスラム教、仏教など)になったのであろう、人は「神」無くして生きていけないのか。