土偶

土偶

2月18日良いものを見た、上野の国立博物館で開催されている「国宝土偶展」である、こじんまりとした展示であったが中身は濃い。かって教科書で見たことがある土偶の実物がところ狭しと並んでいた。なんでもこれらは昨年の10月イギリスの大英博物館で「THE POWER OF DOGU」として展示されたということだ。そのうち国宝が3点含まれその他重要とされるものはほとんど含まれている、作品は縄文草創期のBC7000年から縄文晩期のBC400年にわたっていた。
私は初めて知ったのであるが、これらの土偶はすべて女性なのである男は一人もいない、そして発掘された場所は関東地方と青森県を中心とした東北地方がほとんどなのである、関西、四国、九州地方ではほとんど見つかっていないことだ、そしてそれがどういうことを意味するのか興味深い。
気の遠くなるほど長い年月を経て今それらを目の前にする時、私は目眩すら覚えた。現在の前衛作家もおよびもつかないその造型力にはただ驚くばかりで、それらはけっして楽しみのために造られたものではなく必死の願い事をこめて造られたことが伝わってくる。多くのものは呪術的に意味のある異様な姿をしているが、なかには豊穣と多産を願ったであろう豊かな女性像もありほっとした。それは「縄文のビーナス」と呼ばれ縄文中期のもので長野県茅野市で発掘された、大きな尻とお腹そしてくびれた腰の像は何度見ても飽きない。これを見て2年まえトルコのアナトリア博物館で見た母神像を思い出した、そのレプリカが今でも私の事務机の上に置いてある、博物館でその像に釘づけとなりちっとも動かないものだから、カミさんが気をきかしてそのレプリカを500円出して密かに買っておいてくれた、実物はBC5750年のものである。
洋の東西を問わず女性は豊穣と多産の神様となっている、逆らえばこんな怖いものはない、これも共通しているようだ。そこで我が家でもカミ様として奉っている。