滝桜 地蔵桜

もう20年近く前になるであろうか、まもなく90歳になろうとしていた私の親父がどうしても三春の滝桜が見たいと云うのでお袋も一緒に車で出掛けたことがある。
樹齢千年を越すといわれ、尚咲き乱れるその花に驚嘆したのを覚えているが、お袋は当時脚が痛くて車から出て来ず「ここから見るからいいよ」と云っていた。

桜の精に引き寄せられるように親父は長い間その花を凝視して動かなかった、その頭に去来するものはなんであったのか、若かった私には想像すらできなかった、それから数年経たずして親父は亡くなった。

学生時代、生活協同組合活動を一緒にやっていた先輩のUさん、同輩のWさんそして私ども、三組の老夫婦は桜の咲くころになるとそはそはして落ち着かない、ここ四年ほど桜の花を訪ねる旅を続けているからだ。
今年は三春の滝桜、地蔵桜、、、を訪ねた、滝桜が樹齢千歳の母親なら四百歳の地蔵桜はその娘の代表格である、なるほど肌は若若しい。
滝桜のサクランボウを野鳥が啄みその種子を周辺に撒き散らしそれが育って娘桜となる、滝桜の周辺に直径1M以上の娘桜が450本もあるという、その代表が地蔵桜なのだ。

桜の花を見ながら俳句の好きなU先輩が芭蕉の句を披露してくれた「さまざまの事おもひ出す桜かな」、なんでも芭蕉なら100句以上頭に入っているという、おのおのがその句の意味が分る年齢になっていた。
あの時、親父が身動きもせず滝桜を見つめていた気持ちが少しは分るような気がした。