放射線の風評被害

放射線風評被害

私の親父は1900年生まれで1923年の関東大震災の時、東京のど真ん中日本橋金物屋の小僧として働いていた。その時に起きた大火災の中を運よく逃げおおせてくれたお陰でいまの私たち兄弟姉妹がある。
親父はその時の様子をよく子供達に話していた、なんでもその時の死者は家屋などの倒壊によるより、圧倒的に火災により逃げ場を失った焼死であったという。震災後、親父は日本橋を離れず焼けてなにも無くなった金物屋の復興に飛び歩いていたらしい、そのことは関東大震災の目撃者でもあった。
もう一つ、震災後に起きたデマの話である。在日朝鮮人に不穏な動きあるとするデマが急速に拡がり、組織された自警団に彼らが虐殺された。この話をする時親父はいつも悲しそうな顔をしていた。
今回の東日本大震災においても地震後変な噂が勝手に飛び交っている、放射線風評被害である。「何県産の野菜は危ない」との噂だけで消費者は買わない、マーケットは仕入れを止める。
日本人には原爆、放射線にたいする恐怖心が沁みこんでいる、それが原発事故の放射線にも過剰反応する。たとえその量的レベルが科学的に無意味であっても。
幸い日本では誰でもいろいろな情報が入手出来る、その中で私に役に立ったのは
福島原発原子力災害に伴う放射線影響と緊急被ばく医療対応 」 菊池 透
http://lib-stream0.jichi.ac.jp/contents/all/201100000029.htm
であった。