たまご屋おやじの独り言 ポルトガル 天正の少年使節

少年使節が訪ねた世界最古の大学都市 コインブラ

織田信長の死ぬ四ヶ月前、4人の少年使節とその一行がリスボンに向け長崎を出航した。
マカオ、マラッカ、ゴア、喜望峰をまわってリスボンに着く、なんと到着までに二年半かかった。この少年使節の計画を立てたのがイェズス会のヴァリニャーノで、彼と信長との関係も良好であったと言われる。
当時九州のキリスタン大名大友、大村、有馬の名代としてその親族のなかから選ばれた少年たちの年齢は12−13歳であった、今なら中学生のころである。彼らがポルトガル、スペイン、ローマで受けた待遇は驚くべきものであった、以後500年現在にいたるまでそれらの国で彼ら以上の歓待を受けた日本人はいないであろう。
今回の旅で少年使節ポルトガルでの足跡をいくつか訪ねることができた。彼らが長旅を終えリスボンでの宿舎となったのサンロケ教会、訪ねたシントラの王宮、世界最古の大学都市コインブラ、、、。
少年使節については旅行まえいくらか知っているつもりでいたが、帰国後、旅行をともにしたK先輩から借りた本「天正の少年使節」を読んで正直驚いた、自分はなにも知らなかったのである。なぜ地方のキリスタン大名の親族の少年たちが当時のヨーロッパ社会で大歓迎されたのか、なぜ信長亡きあと秀吉が途中からキリスタン禁制に踏み切ったのかなどなど、まさに眼から鱗ものである。
少年使節の旅は帰国するまで八年半かかり、長崎を出るとき少年であった彼らも立派な青年となっていたが、その後彼らが日本でたどった運命は過酷なものであった。
私たちの旅はたったの九日間である、それでも旅は自分の無知をあからさまにしてくれる。