弁天沼 その一

私の住んでいるところから弁天沼 その一歩いて10分くらいのところに弘光寺がある。創建の年代は明らかではないが、なんでも天平十七年(745年)の開基と伝えられている。ここには町指定の文化財二点があるなど、地域では有名な寺である。戦乱の時代には戦の砦となり何度も焼き討ちにあったと、若くして亡くなった新井浄峻住職が話しておられた。

もとをたどれば私の住む”櫛挽開拓地”もその多くはこのお寺さんの土地であったらしい。この弘光寺の土地の一部に通称”弁天沼”がある。100坪ほどの小さな沼だが中央の小島には弁天様が祀ってあり、周りは樹木が鬱蒼としていて気味の悪い場所である。いままでは地域の生活廃水などが入り込み、周囲も荒れに荒れていた。このことを気にしていた浄峻住職は地元の人たちに働きかけ、この土地のご先祖たちが地区の水源地として大事にしてきたことを説き、率先してその回復にあたられたが、残念にも亡くなられてしまった。

その意思を引き継いだ地元の有志たちは、まず生活廃水がこの沼に入り込まないようにバイパスの排水管を埋め込み、沼に溜まったヘドロをかき出し、あたりの除草に励んだ。取り組んでから今年でもう四年目になるのであろうか、先日沼に行ってみると大群の赤トンボが舞い、大型トンボの銀ヤンマに会えた。沼には小魚どもが帰ってきていた。浄峻住職が夢見たのは、この光景であったのだろうか?