弁天沼 その二

弘光寺の弁天沼にトンボや小魚が帰ってきた話をしたが、最近そこでカワセミを見たという人が現れた。私はまだお眼にかかれないが、嬉しいことである。翡翠色をして低く矢のように飛ぶその姿を想像しただけで気分が良くなる。

世に弁天沼と称するところは沢山ある。いずれも昔からその地区の大事な水源地、あるいは貯水池の役割を果たしていて、そこに弁天様を祀り、地域で大事にしてきたものであろう。弁天様は古くインドの神様に遡れるのだそうで、特に水に関係が深く、旱魃の年には雨乞いで頼りにされてきた。亡くなった浄峻住職の受け売りであるが、弘光寺は真言宗であるから教えは空海に行き着く。昔、大旱魃の年、空海が雨乞いの大祈祷会を行った時、その法敵に勝つべくインドの水を司る神様を日本に呼んだのだそうだ。その流れが龍神、弁天となっていると、まことに壮大な話を住職はしていた。

弘光寺の弁天沼にはその中央に小島があり、そこに弁天様の祠がある。橋がないのでここにはめったに人は訪れない。ここは樹木が鬱蒼としていてなにやら気味の悪い場所でもあるからだ。土地の人によれば、その祠にはたしか弁天像があったはずだと言う。ところが一昨年の大掃除のとき何人かで覗いてみたが中は空っぽであった。この話を浄峻住職の奥さんにすると、”荒れた弁天沼が嫌で弁天様は一人で本堂に引っ越してきたの”といって悪戯っぽく笑った。

本堂で見せていただいた弁天像は江戸時代後期のものといわれ立派なものであった。いつの日にかこの弁天像が沼の祠に帰れるようにしたいものだ。