たまご屋爺さんの独り言 渋沢栄一翁 その一
新一万円札の肖像画が渋沢栄一翁に決まって以来、その出身地である深谷市は
盛り上がっている。
とくに翁の生誕地である血洗島にある旧渋沢邸「中の家」(なかんち)、渋沢記念館などは訪問者が急増し一部混乱状態に陥った。
いつもは静かなこの農村地帯にあるそれらは、突如いつもの十倍以上の訪問者が現れたのでたまらない、スタッフは嬉しい悲鳴を上げている。
実はこの「中の家」の一画で論語教室が開催されている、物好きにも私はこの教室にまる3年以上通っている。
いつも一番前の席に座ることにしているのは、それは熱心な受講生というより補聴器をつけてもよく聞き取れないからだ。
天保11年(1841年)に生まれ昭和6年(1931年)まで生き抜いた渋沢翁を支えたものは一貫して論語であった。
今から二千年以上前に孔子の弟子たちによって編集された論語は渋沢翁のみならづ、令和の時代に生きる我々の心にも響くものを持っている。
つづく
深谷市櫛挽にて