骨壷 その二

仲間の石屋Kさんはとても商売熱心だ、彼で四代目というからもう100年以上同じ仕事をしていることになる。
同じ深谷市内でも利根川のすぐそばで仕事を続け、まもなく五代目の息子さんに引き継ごうとしている、歳は60を越えたばかりである。

彼によれば、今日本で使用されている石材の多くは海外から輸入され、しかもこちらの希望どうりに高度加工されてくるという。
Kさんの時代になってから業界の変化は激しく、海外の動きには眼を離せないらしく、輸入先の中国にはよく出かけている。
先日も出張した時、足を延ばして奥さんと敦煌へ行った、それも単なる観光ではなく、通訳を雇ってかって豪族であった人の墓を訪ねたという、調査とはいえ3人だけで地下の墓にもぐり込んだ時はさすがに恐ろしくなったらしい、彼の研究熱心さには驚く。

ある日突然、彼は仲間の会合に自分で作った石製の骨壷をもって現れた、姿は四角でそれなりの大きさだが、力持ちの彼がやっと持って歩けるほどの品物であった、彼いわく最新のレザー光線技術で自分のお好みの写真を石の表面に刻み込むことが出来るようになったという、なるほど見てみれば和服姿のKさんがニコニコと骨壷の表面で笑っている、他の面には彼の好きな漢詩西郷南洲の識天意」と、座右の銘「人生開拓」が見事な書体で刻まれていた、彼が言いたいのは「こんな爺さんがいた」ことをいつまでも後代に伝えることが出来、それには墓の内部の環境は石材にとって最適なのだという事らしい。

彼の熱弁に最初のうちはキョトンとしていた仲間も、すっかり引き込まれてしまった。
同じ仕事を100年以上続ける事は大変なことだ、時代の変化を読み取りそれに合わせて自らを変身させていかなければ生き残れない、Kさんはこの骨壷に新案特許を申請している、彼はその仕事が好きでしようがないらしい。