それは中国卵の輸入から始まった(1)

たまご屋爺さんの独り言 それは中国卵の輸入から始まった(1)

 私はたまご屋の二代目である、すでに現役を引退から15年以上になり三代目の
息子たちに仕事を引き継いでもらった。 
私の親父が創業してから間もなく100年になる、その間私の家族はずーと鶏に食べさせてもらったことになる

創業当時の日本の「たまご事情」をすこし振り返ってみる。
幸いそのことを今から18年前私が調べた記録 が残っていた、以下。

大正11年(1922年)日本は中国卵の輸入はピークに達し国内消費量のなんと33%を占めていた。大阪の都市部にいたっては93%が中国からの卵であった。
中国の主要積み地は上海、天津、青島の3港であり、当初、集荷包装の点で問題があったが日本の鶏卵問屋の技術指導で解決している。 なにやら最近の中国ネギが日本の技術指導で大幅に品質改善された話にちかい。

きっかけは大正8年(1919年)物価高騰に苦慮した日本政府は鶏卵その他の輸入関税(鶏卵は25%)を急遽撤廃した。以来怒涛のごとく中国卵は殺到し国内の三分の一を占めるに至った。

卵価は暴落し当時養鶏農家への打撃は大きかった。その後養鶏農家のがんばりと政府による「鶏卵自給増産10ヶ年計画」(1927年)があいまって、ついに昭和7年(1932年)中国卵の輸入はほとんどなくなった。それどころか逆にフィリッピン、ロンドン、満州国、その他に鶏卵を輸出していたことには驚かされる。

逆境に耐え、それをバネに技術革新をし日本の近代養鶏発展の基礎をつくった先人に敬意を表せずにはいられない。まさにそれは「それは中国卵の輸入から始まった」のである。 >