利根川歩き

関東平野隠れキリシタン」を読んでいたら私の住んでいる深谷市の北を流れる利根川流域のことがしきりと出てきた。
徳川家康が生きていた頃、関東平野利根川をはじめ諸河川が暴れる未墾の土地であり、江戸を発展させるためにはこれの開墾が急務であり、同時に利根川および諸河川の洪水が江戸をもたびたび襲ったためこれの治水が必要であった。
家康は伊那備前守忠次に命じて主に利根川流域の開墾と治水にあたらせた、これは当時の大事業であり、莫大な人員の動員と、当時最新式の技術が採用された。

全国から人員を動員するためこの工事に働く人たちをある種の治外法権においた、その例が大名行列があれば一般の農民町民は平伏させられたが、この工事で働く人たちは平気で働き続けたという。
家康はある時期からキリスト教を弾圧し始めるが、その隠れキリシタンが多勢この治外法権の工事団に入りこんだ、その証拠に利根川沿いにある古い墓地の墓石から隠れキリシタンの印しが読みとれ、その記録を丹念に残したのがこの本である。
また当時の新技術はポルトガル、スペインのキリスト教宣教師をとうして測量法、工事法などが伝えられた。

なんの気なしに始めた利根川歩きだが、本庄市からはじまって今やっと栗橋までたどり着いたが、この本を読んでから作戦を変えた、川にはそれぞれ物凄い歴史が詰め込まれている、それを同時にたどりながら歩けば面白さは倍増するに違いない。

今朝(8/15)、振り出しに戻って深谷市の煉瓦工場(渋沢栄一創立)のそばを流れる備前渠用水(通称備前堀)をたどって妻沼の聖天さままで歩いてみた、驚くべきことに1600年代はじめ伊那備前守忠次によって作られたこの素掘りの用水が、利根川の水をとりいれて今も豊かに流れ周辺の田んぼを潤している。
恥ずかしい話だが、私がこの深谷の地に住み着いてから40年以上になるが、この備前渠用水をこれほどしげしげと見たことはない。
という訳で、いろいろと寄り道をはじめたため河口の銚子まで歩きつくのは何時のことやらわからない。