たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 決して忘れてはならない事   20201031                

たまご屋爺さんの独り言 私の櫛挽物語 決して忘れてはならない事 

                  20201031

 

櫛挽開拓地に30才過ぎて入植させもらってから50年以上になった、この地で最後を迎えるつもりだ。

 

横浜市の田舎で生まれ育ち学校にゆき、父親の起業したたまご屋の手ほどきを受け相模原市の開拓地で独立農場を持った、この地は当時神奈川県中の優秀な若手たまご屋が集まりお互いに切磋琢磨した場所である。

 

ところが良い面もあったが、農場の密集が進みニワトリの伝染病の汚染地帯になってしまったので第二の新天地を求めてこの櫛挽開拓地へやってきた。

 

この土地は戦後(1946)の開拓地で以前は平地林及び造兵廠跡地で国有地であった、終戦直後わが国は極端な食糧不足でその増産が急がれたので国策で開墾地の造成が薦められた。

 

櫛挽開拓地は埼玉県でも最大で450haあり当初242名が入植した、鍬一本の開墾は困難を極め特に入植直後襲ったキャサリン台風は開拓地の7‐8割を水浸しにし作物を全滅にした。

これをきっかけにして荒川水系への放水路工事が始まり、開墾と同時にこの工事も入植者が請け負った、それは土木機械がある訳でなしほとんど手作業で行われた。

 

現在、見事に整備された櫛挽開拓地の農地、道路、放水路、防風林 を見るとき初代入植者の流された汗と涙のことを決して忘れてはならない。

 

 

櫛挽(深谷市)にて 山芋の葉 間もなく収穫

 

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