たまご屋おやじの独り言 隣組の葬式

 今私の住んでいる深谷市櫛挽は本北、南、欣栄、岡部の四つの地区に別れ、さらにその地区ごとに10戸前後の戸数ごとに隣組がある。戦後の開拓地であり、周辺にある旧村の農家でも手を付けなかった土地だけに、開墾にはたいへん苦労された。
初代の入植者の人たちは、同じ面積の土地を入手し松や雑木の生える原野を開拓した。
灌漑施設や排水路が出来るまでは旱魃や水害に苦しんだ話をよく聞かされた、おなじ苦労をされてきただけに、初代また次の世代の人たちも団結心が強い。
私は45年前この櫛挽本北地区に入植し、私を入れて9戸の隣組の仲間にしてもらった。入植当時、働き盛りであった初代の開拓者もすでに亡くなられた人が多い。
つい先日も私の属する隣組で88歳の先輩が亡くなった、隣組で初代はあと一人を残すのみとなってしまった。
隣組の葬儀の付き合いは決まっており、現在では自宅での葬儀はほとんどなく葬祭場が利用されるが、それでも一戸につき一人出て、通夜と告別式に受付その他を分担する。
今から10年以上前、この地区での葬儀はほとんど自宅で行われた、この時は一戸につき二人出て二日間、それでも忙しかった記憶があるが、故人をしっかりと弔った気持ちを隣組一同共有したのを覚えている。