たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その一

たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その一
私には4人の姉と2人の弟がいた、戦時中の「産めや増やせや」の時代であったからどこでも子供の数は多かった。
この7人の子供たちが産まれたのはいずれも横浜市神奈川区菅田町であったが、その当時は横浜でも農村部で田畑や森に囲まれていた。
小学生時代、片道40分ほどの道のりを歩いて通ったのだが、あるのは古い茅葺き農家のただ住まいと自然そのものであった。
両親はこの土地で地付きの人ではなく言わば新参者であった、周辺の農家はいずれも数百年の歴史をもつ農家であった。
両親はそのような環境の中で隣組にも入れてもらい、戦前からこの土地で採卵養鶏を営んでいた。
先日、菅田町に住む姉から「菅田物語」という200ページほどの書籍が送られてきた、発行人と編者は「菅田地区自治連合会、菅田のむかしを語る会」とあった。
ちょっと読んでみたらたちまち引きずり込まれた、町の成り立ち(新編武蔵風土記による)から戦前、戦中、終戦、戦後そして高度成長期に至るまでその変容ぶりが菅田町語り部によって記録されていた。
その人たちは現在ほとんど亡くなっているが、名前を見れば思い出す人が多い。
特に私が小学生であった終戦の日前後の菅田町の有様がありありと記録されていることに驚くとともに、涙を禁じえなかった。
 
 
辺りはアジサイが咲いています。櫛挽(深谷市)にて
 
New photo by Fujio Saito