たまご屋爺さんの独り言 60年 その四
1945年8月15日終戦、その日が近づくといつも思い出す。
私が小学校4年生のとき終戦、生まれ故郷横浜市菅田町の近くにアメリカの敵機B29を迎え撃つ高射砲陣地があったので、終戦直前まで空襲がありそのたびにサイレンが鳴り響き砲撃が続いた。
我々子供たちは防空壕に逃げ隠れ、そして市の中心部は焼野原になり多くの死者が出た。
話変わって、たまご屋を引き継いでから既に60年。
それは過ぎてみればまさに”あっ”という間であった。
その時間を「たまご屋」として続けてこられたのは、とても運が良く有難いことと感謝している。
何よりもまづその60年の間、日本は戦争がなく平和であったことだ。
その有難みをともすれば忘れがちになる、この平和は戦争で亡くなったで多くの人たちのお蔭で成り立っていると思うからだ。
戦争が起きればなにもかにも無茶苦茶になる。
「実際の戦争のことを忘れ知らない世代が増えるにつれ、戦争が近づく」田中角栄元首相の言葉であったと思うが肝に銘じている。
つづく
櫛挽夏祭り第54回