たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その二

たまご屋爺さんの独り言 「菅田物語」その二
横浜市が大空襲にあったのは終戦の日(19450815)の直前5月29日で昼間のことであった。
市の中心部は焼夷爆弾でほとんど焼野原となり、死者も一日で四千人に近かった。
菅田町は農村部にあるため当日の被害は少なかったが、空襲の後市内を訪れた「菅田物語」の語り部の記録が凄まじい。
小学生であった私は当日のことを覚えている、菅田町の隣片倉町には敵機を迎え撃つ高射砲陣地があり上空を行くB29を打ち落とすべく盛んに砲撃を繰り返していた。
空襲を恐れて防空壕に隠れていた家族を何故か私の父は皆を外に連れ出し遠くに見える市街地の黒煙と炎を見せたのだ。
以来75年が過ぎてもその情景が今でも脳裏に焼き付いている、父もきっとこの日の事を子供たちが決して忘れてはいけないと思ったに違いない。
緑の王国(深谷市)にて アジサイ
New photo by Fujio Saito
 
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