七十路(ななそじ)越えての手習い

七十路(ななそじ)越えての手習い

60歳のことを「むそじ」80歳のことを「やそじ」70歳のことをてっきり「なそじ」だと思っていた、ところがある時辞書をひくと「ななそじ」とあった,日本語は難しい。

先日娘が文芸春秋別冊号「俳句のある人生」を届けてくれた、なにやら父親が70歳 を超えてから俳句に興味をもったことを知ったらしい、有難いがてれくさい。私のまわりにはそれこそ何十年も俳句を楽しみにしている人たちがいる、はたから見ていてもそれは奥行きが深く一生をかけて自分の俳句を作りあげていくものらしい、おいそれとは手を出せず私には無縁の世界と思っていた。

「俳句のある人生」には日本で一番歴史のある朝日新聞の朝日俳壇のことが書いてあった、毎週全国および海外から朝日新聞社に寄せられる句は6000に達するという、葉書一枚に一句のみ書くルールだそうで、この6000 枚の葉書を4人の選者が各人全部目を通す、300枚約7分のペースでその中から各人10句を選び出しコメントをつける、選者の一人はなんと米寿の金子兜太氏である、この作業を半日でこなすというから想像を絶する。それ以来朝日俳壇の句を注意深く読むようになった。

それからもう一つ歳時記をボツボツ読み始めた、たとえば花といえば桜いまそれが満開である、蕾のころから散ってゆくさままで美しい日本語で表現されている、私は気がつくのが遅いほうで正直云って歳時記にある「花・桜」の項を読んでみて驚いた、これほど日本人は豊かに自然の変化をとらえ表現していたのか、、、。

七十路越えての手習いは少々遅きに失した感があるが思いついたが吉日、気がついただけでもめっけものである。