俳句

俳句

夏を過ぎたころ、朝玄関を開けてみるとそこに白い腹をみせ数匹の油蝉が横たわっていた、人が近づくと最後の力をふりしぼって逃げ出すのもいた。片付けておくとまた翌朝新しい仲間が同じ状態になっていた。それを見て不思議な気持ちにおそわれた。今までにないことだが、この有様を五七五の短い言葉で表したら一体どうなるのであろう。

古来、日本の先人たちは四季の微妙な変化をとらえてそれを歌に詠む感性を備えていた、今でもそれが脈々と続いている。私の場合はおそらく感性がにぶく出遅れたのであろう、あるいは自分自身の人生が秋にさしかかり、ある朝本物の秋に出会い突如目覚めたのかも知れぬ。

先輩、同輩のなかには若い時から俳句を生涯の楽しみとしている人たちがいる、一方70歳を越えてから突如目覚めて、短期間のうちに3000句近くものにした豪の者もいられる。その人たちの作品を見せてもらうと、私などが近寄る世界ではないと思っていた。

ところが白い腹を見せて死んでいる油蝉を見てどうしてもその情景を句にしたかった、もとより作ったことがないので短い言葉では言い表せない、ひねくりまわせばするほどおかしくなってしまう。そうこうしているうちに、そうか上手く作ろうと思わず、日記のかわりに日々感じたことを素直に自分のために書き残せばよいと気がついた。

不思議なことに頭をひねって句もどきを記録しておくと、後で読み返した時にその情景がデジカメで撮った写真よりも鮮やかに甦ってくる、これは脳みそを活発に働かしたためであろう、昔の人はとっくにこの事を知っていて賢く頭の体操の仕方を知っていた。