たまご屋おやじの独り言 2003年6月

たまご屋おやじの独り言 2003年6月


25/June/03

関東甲信越養鶏大会

6月25日、茨城県の大洗ホテルにて関東甲信越養鶏大会があった。これは日本養鶏協会の地域協議会の行事として、各県回り持ちで毎年開催される。

この会に出席するようになって、もう三十数年になるが、相変わらず盛会である。おそらく最近では、日本でも養鶏業界人の集まる大会としては最大のものであろう。その時代時代によって大会のテーマは違っているが、話題となることは戦後の採卵養鶏業界のたどった歴史そのものである。

ある時は、あまりの低卵価続きに抗議する危機突破大会であったり、鶏卵の生産調整をめぐって賛成派と反対派が対立し大会が混乱したこともあった。

当時に比べ、業界も世代交代が進み、業界全体も成熟した。現在では、どんなに低卵価が続こうが、それは行政指導による生産調整などで解決できるものではないことを業界は理解した。鶏卵の生産のみを凍結、固定しても、卵を買ってくださる市場がどんどん変化しているのであるから、それに対応出来ない農場は脱落せざるを得ない。 そして需給は調整されてきた。

行政指導による鶏卵の生産調整があろうがなかろうが、現実にはこの厳しい経済の掟が戦後一貫して業界を支配してきた。

さすがに農水省も鶏卵生産調整に対する考え方を変えて、生産者の自主的判断による生産調整とし、行政はガイドラインと情報を示すだけとしている。これは業界の実態に合ったものであり望ましい。よいよ本当の意味での業界の生存競争が始まる。

23/June/03

<日本たまご事情>「抗生物質大国ニッポン」?

6月14日の朝日新聞に、
−「抗生物質大国ニッポン」が問われている家畜へ大量投与が続く −
という見出しで新聞1ページの記事になっていた。要旨は家畜に大量に使用された抗生物質が耐性菌を生み出し、人間の病気治療を困難にしているというものである。
http://www.be.asahi.com/20030614/W13/0040.html

今の畜産経営が経済効率を追いかけるあまり、無理な飼育環境を家畜に強いるので抗生物質ほか薬剤に頼るようになる・・・などいつもの近代的な畜産批判を展開している。

しかしよく読んでみると、事実は10年前に比べて家畜全体に対する抗生物質使用量は半減しているにもかかわらず、記事全体から受ける印象は、いまだにそれを大量に使用していると、一般読者は受け取るようになっている。マスコミの恐ろしさである。

こと鶏卵生産に関しては、ほとんどの経営がケージ、バタリーシステムになり飼育方式を地面から鶏を切り離すことと、小群飼育にすること、さらに種々のワクチンの開発によって無抗生物質生産が可能になった。

しかし一般消費者の人々にはこの事をなかなか理解してもらえない。あのように狭いケージ、バタリーに鶏を押し込めて無理をしているのだからきっと抗生物質などを使っているに違いない・・・となる。更にこのようなマスコミが追い討ちをかけて、疑いは確信になる。とても残念だ。

今の鶏卵生産の事実を根気よく一般消費者に伝える努力を続けねばならない。

22/June/03

<日本たまご事情>ホトトギスが鳴く その2

前回、ホトトギスの鳴き声にかこつけて、鶏卵の販売戦争を愚痴ったら、早速Mailを沢山いただいた。

畏敬するU先輩からは、
  あの声で蜥蜴喰ふかやほととぎす   古川柳
  ほととぎす聴く森陰に養鶏場     耳鍛冶

さらに同級生のカバさんからは艶っぽいが悲しい
  こひ死なば 我塚でなけ ほととぎす
  君は今  駒形のあたり ほととぎす

何れも遊女の句といわれる。「鳴いて血を吐く」のは、女であったノダ、と但し書きがついていた。

 ホトトギス自由自在に聞く里は 酒屋に三里豆腐屋に五里
新聞を見ていたらこんなのがあったと知らせてくれた者もいる。

折角ホトトギスが鳴いているのだから、句の二つ三つ思い浮かばなければいかん、仕事のことを思い出す馬鹿がいるか・・・ということらしい。まったくそのとおりだ。句を楽しむ人たちにはどこか余裕がある。

13/June/03

新宿PIT INN

先日、久しぶりに新宿PIT INNを訪ねた。東京にも数少ないジャズのライブハウスの一つである。

特別ジャズが好きと言うわけではないが、カミさんの物好きに付き合って、もうかれこれ15年になるだろうか。ところが私が病気をしてから奇妙なことが起こった。いままでまるで受け付けなかった音が素直に聴こえるようになったのだ。なにしろ同じCDから流れる音が違って聴こえるのだから、これは驚きと言うしかない、脳梗塞さまさまである。

音楽について、人それぞれに感受性は違うものらしい。飛び切り良いアンテナを持っている人から、私のような鈍なものまで千差万別らしい。うちのカミさんみたいに、同じSTEVE LACYのソプラノサックスを聴いてそれに狂い、それを支えに15年もLACYにはまり込んだ者もいるかと思えば、隣にぜんぜん感じないその亭主もいる。

「LACY狂い」と言えば世の中にはいろいろな人がいるもんで、ベルギーのゲント市のRITAおばさんが単身、突如我が家のホール「EGG FARM」とカミさんを訪ねてきた。それまでぜんぜん知らない人で、カミさんがLACYのライブCDを出しているので、そのコンサート現場を見ておきたいのだと言う。相当な「LACY狂い」である。言葉は良く通じないが、二人でLACYのことを夢中で話していた。どうやら新宿PITTINNも訪ねることに決めたらしい。

と言うわけで、私は2年ぶりで車を運転して新宿に乗り入れた。その晩の佐藤允彦のピアノは勿論素晴らしかった。なんせ聴く耳が違っているのだから・・・。

7/June/03

<日本たまご事情>ホトトギスが鳴く

私の住んでいる櫛挽ヶ原に今年もホトトギスがやってきた。姿は新緑に隠れて見えにくいが鳴き声でそれとわかる。

人間様にとっては季節を告げる知らせとなるが、防風林の木陰でたまごを抱いているウグイスたちにとってそれは悪魔の声と聴こえるだろう。ご存知のごとくウグイスの巣に托卵され孵化したホトトギスの雛は、やがてウグイスの卵を巣の外に押し出してしまう。自然は残酷でもある。

ちょっと違うがこれと似たようなことが、私等のたまご業界にもある。折角永年の努力が実って安定していた卵の販売先を、突如業界のホトトギスがやってきて、そこにあった卵を押しのけ自分の卵が居座ってしまう。商売の摂理とはいえ厳しいものである。

自然淘汰に耐えて生き残った者たちが業界を支えていくのは、いずれの世界でも同じことだが、どうもあのけたたましいホトトギスの鳴き声は好きになれない。

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