たまご屋おやじの独り言 2004年11月

たまご屋おやじの独り言 2004年11月

29/November/04

ぶらりぶらリ通信 幻の"タマゴの歌"

 "タマゴが好き好きとても好き、、、"たしかこんな歌いだしのテンポの良い歌であったと思う。これは1968年、当時の(財)日本飼料協会が音頭をとって鶏卵消費宣伝のために作成されたものだが、作詞 サトウハチロー、作曲 中村八大、歌 古賀さと子によるものでいずれも当時の大御所であった。ご存知のごとく、サトウハチローは「ちいさい秋みつけた」など数多くの童謡で知られている。中村八大は「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など、古賀智子は童謡歌手として別格の売れっ子であった。

 そのSPレコードがたしか物置にあった記憶があるので探してみたが見つからなかった。なにせ30年以上も前のことである。無いとなると欲しくなるもので、いまだにあちこちひっくり返している。

 そのころ興隆期にあった飼料業界は活気に満ちていた。このような企画も一流の者を揃える力があったのである。当時日本配合飼料株式会社の研究開発に携わっていた旧友渡辺英男氏はこの企画に参加されていたので、そのあたりの話を聞くことができた。今でこそ日本は一人当たりの鶏卵消費量世界一と自慢しているが、そこに至った人たちの努力を忘れることは出来ない。過去になるがアメリカは世界一の鶏卵消費量を誇っていた。一人当たり年400ヶ以上摂取していたものが250ヶちかくに落ち込んでしまい、その回復のために莫大な費用とエネルギーをつぎ込んでいる。

 話は変わるが、11月27日に埼玉県江南町の畜産研究所で「畜産フェアー2004」があった。酪農関係者がミルクの消費宣伝で大活躍していた。歌あり、牛に変身したぬいぐるみの寸劇ありで多くの子供たちを惹きつけていた。「ミルクの歌(?)」は今風にビートの効いた歌になっていた。それに刺激を受けたわけではないが、幻の"タマゴの歌"を見つけ出し復活させたい。それは今でも充分通用するはずである。


22/November/04

上野駅の"味たまラーメン"

 私を含めて採卵養鶏場をやっている者は外食するときタマゴ料理を避けがちになる。「外に出た時ぐらい他の物を食べたい、、、」「タマゴはもう食べ飽きた、、、」といったところが本音であろう。では本当に美味しいタマゴ料理を養鶏家の人たちは食べているのであろうか?恥ずかしいことだが私自身食べているとは言い切れない。

 "日本人は世界中で一番タマゴを食べる国民で、しかも世界一長寿である"とSydneyの世界タマゴ屋会議(IEC)で先般啖呵をきってきたのは良いけれど、ではどのようにして日本人はタマゴを食べているのかと改めて聞かれれば、私たちには当たり前でも、外国人に説明するのは難しい。有難いことに日本ではタマゴのメニューがとても豊富である。朝昼晩の食事のなかに姿を変えてメニューに現れる。伝統的にタマゴは朝食が中心のアメリカ、ヨーロッパとはわけが違う。

 最近、上野駅構内にラーメン屋がオープンした。いつも讃岐うどんの店を贔屓にしているのだが、店の"味たまラーメン"、"温たまラーメン"というメニューに惹かれて入ってみた。1杯700円の"味たまラーメン"は味付けしたS玉の半熟タマゴを半切りにして野菜豊富な具と一緒に出てきた。"温たまラーメン"とは味付けタマゴの代わりに温泉タマゴがのっている。味はまずまずであった。それより給仕する女の子が皆若くてきびきびしていて気持ちが良かった。
 讃岐うどんの店にしても、"熱たまうどん"などタマゴを使ったメニューがある。ことほどさように日本ではタマゴを使ったメニューを考え出してくれる。有難いことにこれらのことが世界中で一番タマゴを食べる国民にしているのだろう。


21/November/04

ぶらりぶらり通信 電脳(パソコン) その2

 脳梗塞を患っても悪いことがあるばかりではない。私の場合左脳をやられたから相対的に右脳が元気が良くなった。今までどちらかと言うと左脳中心の仕事をしてきたから、右脳はほとんど遊んでいたらしい。ところがそこが元気良くなると今までと違った事が起きてきた。右脳は感性とか芸術を司る部分と聞くが本当にそのとおりだと思う。極端にいうと病気の前と後では見るもの聴くものまるで世界が違ってしまったのである。

 日頃見慣れている防風林の四季を美しく感じたり、鶏舎の隣に立っている銀杏の葉が見事に黄色になって夕日に映えている様に感動したり、とにかく今までと違ってしまったのである。良く言えば感性が鋭くなったのであり、あるいはただ涙もろくなっただけの話かも知れない。

 このことは音についても言える。音楽は嫌いではなかったが、今までは特別進んで聴きたいとも思わなかった。しかし不思議なことに、これが自分から聴きたいのである。フジコ・へミングのピアノコンサートが埼玉であった時、一人で切符を手配し一人で出かけていった。こんなことは今までになかった事だし、いつもカミさんの付き合いで仕方なしについて行ったのだが、これまでのコンサートと違って、ほんとうに音が心に沁みるのである。

 有難いことに電脳(パソコン)はここでも働いてくれる。お気に入りの音楽CDを自分用に電脳に取り込んでおく。それをマッチ箱くらいの携帯用プレイヤーに移して持ち歩き、何処でも聴く。変われば変わったものである。聞くところによれば、このプレイヤーは普通の音楽CD数百枚分を取り込めるそうだ。値段の高い機種ならば数千枚も可能という。私も変わったが世の中もっと変わっている。


14/November/04

タマゴが高い

 最近、「タマゴが高くて養鶏場はいいですね」と挨拶代わりに人に言われることがある。「お陰様で有難うございます」と答えることにしている。心のなかでは「冗談じゃない、タマゴが高い時だけ言わないで欲しい」と思っている。

 最近、スーパーマーケットなどのタマゴ売り場で、いわゆる特殊卵の比率が増えている。これは消費者が望むからと言うよりも、売り場側と生産者側との思惑が一致して作り出したもので、正直な話、儲けを多くして両者で分け合おうとの魂胆である。今までタマゴは目玉商品として囮に使われてきた。それで利益をあげるというより、多く客寄せに使われてきた。値の高い特殊卵は売り場側、生産者側両方にメリットをもたらす。消費者側にメリットがあるか否かは消費者の決めることであろう、ただし売れての話である。

 ヨーロッパ、アメリカの売り場を見る時、タマゴは立派に利益をあげられる商材である。ただし売り場側が圧倒的に強く、生産者側の取り分は少ない。従来日本のタマゴ売り場は粗利益が欧米に比べ少なく消費者側にメリットがあった。昨今日本のタマゴ売り場もしっかり利益を確保しようとするところが多くなってきた。特殊卵の売り場スペースが増えている理由である。

 消費者の眼は厳しいから、ただ値段の高いだけの意味のない特殊卵の多くはいずれ売り場から消えて行くだろう。
「タマゴはタマゴである」それだけで充分価値があるのだから。

13/November/04

ぶらりぶらり通信 電脳(パソコン)

 ボケることは恐ろしい。前回のぶらりぶらり通信では未完成の通信文を慌てて送ってしまった。Mailは早くて便利なのだが、ちょっと操作を間違えるとえらいことになる。気がついた時にはもうとっくに相手に配信されていて取り返しがつかない。

 3年まえ脳梗塞で倒れて以来、字が書きづらくなったこともあり、脳のリハビリをかねて電脳(パソコン)で近況報告を親しい人たちに勝手に送りつけてきた。今回も早速電話で「変なMailがきたぞ、おまえ大丈夫か?」と激励された。有難いものである。

 良くわからないが、脳梗塞をやると人によっていろいろな障害がでる。やられた脳の場所によって違うのであろう。それが運動機能障害であったり、言語、記憶、判断、、、障害だったりする。私の場合運動機能障害は少ないほうであったが、言語、記憶、判断の障害はかなり大きいと思っている。

 そこで電脳のお世話になっている。電脳とはよくぞ名づけたもので私にとってはそれは正に外部脳である。しかも強力で取り替えが効く。私は脳の記憶装置が壊れているのだから、これは覚えておいたほうが良いと思うものは手当たり次第に電脳にぶち込んでおく。そして検索機能でその記憶を呼び戻す。またスナップ用の小さいデジカメは特に有能である。その日の出来事で記憶に残したい場面を電脳に貯めておく。電脳内の写真は整理をしない。ただ一日ごとに日付をつけておくだけだ。別の日記帳にその日は何をしたかをメモをしておくことでだいたい用が足りる。有難いものだ。

 問題は失われた判断力である。せっかく電脳によって記憶力がカバーできても、こればかりはどうにもならない。時間をかけて脳の回路が繋がるのを待つしかない。あるいは変な回路が出来て、あらぬ事をことを書きはじめたら早速知らせて欲しい。なにしろ本人はわからないのだから……。


7/November/04

ぶらりぶらリ通信 彩の国 食と農林業ドリームフェスタ

 フェスタとはどうもお祭りのことらしい、祭りと聞けばどうもじっとしていられない。秋も定まった11月の6・7日、埼玉県川越市の水上公園で大規模な農業祭があったので、早速駆けつけた。この時期、あちこちでこのような農業祭、商工祭、市町民祭、、、などが開かれる、その都度タマゴの直売にかこつけて参加することにしている。

 古来、なんとか台風をやり過ごし、無事秋の収穫を終えほっとした気持ちが、農耕民族の日本人を祭りに駆り立てたのであろう、その血が私には確実に伝わっているようだ。今年は大型の台風に何度も肝を冷やした、幸い屋根を少々吹き飛ばされた程度で事なきを得たが、場所によっては被害が大きかった。生き物を飼っていると地震、台風は実に恐ろしい、ライフラインをずたずたにやられると今の養鶏は成り立たない、いや養鶏のみならず、人間の社会生活そのものがおかしくなってしまう。

 連日の中越地震による災害報道をTVで見るのだが、被災地の人々は大変な想いをしている事が分かる。その中で肉牛の肥育農家がエサを牛に与えられず、牛を小屋の外に放して避難したのを見た時、生き物を飼っている同業として身の切られる思いがした。

 農業祭会場の水上公園は朝から人出がとてもよかった、特に農家の野菜直売コーナーは大人気で行列ができるほどであった、今年は異常気象で野菜の出来が悪く高値のためであろう、皆さん実に値段に敏感でいらっしゃる。タマゴも今年は例年になく出足が良く、予定の数量を午前中に売りつくしてしまったので、あとはお祭りを充分楽しんだのは言うまでもない。