たまご屋おやじの独り言 2004年4月

たまご屋おやじの独り言 2004年4月

25/April/04

Factory Farm

牧歌的な「放し飼い養鶏」に対して、最近の集約的ケージ養鶏を「Factory Farm」と呼ぶ人たちがいる。 特に動物愛護運動の盛んなヨーロッパの国々ではそれは格好な非難の対象とすらなっている。 つまり畜産が企業利益の対象となり、利益追求のための過密飼育と劣悪な環境は動物虐待になっているという主張だ。

一方日本でも今回の鳥インフルエンザをきっかけに、このような病気が世界的に流行するのは養鶏の飼育方法が過密で無理があり、そのために病気に対する抵抗力が弱くなってしまったという人たちがいる。なかには一般受けを狙って「だからFactory Farmは駄目だ」という者まで現れる。

連日テレビで京都の養鶏場の画面が現れ、ケージ飼育は一般の消費者の方々には日頃眼に触れないだけにショックの方が大きかった思う。「あんな狭いところに閉じ込めて鶏がかわいそう」が先にたってしまうし、「これでは病気も出るわけだ」になってしまう。いくら私が経験上「鶏の病気ではケージ飼育より放し飼い養鶏のほうが大変だ」と説明してもなかなか納得してもらえない。

昨年早春、オランダ、ベルギー、ドイツを襲った鳥インフルエンザは総計3000万羽を超える家禽類を皆殺しにしていった。 発端はオランダの放し飼い養鶏であった。そしてその後Factory Farmであろうとなかろうと感染は拡がっていった。

放し飼い養鶏、Factory Farmそれぞれ一長一短ある。日本でそれぞれの特徴を生かして両システムの共存は可能である。 一方のシステムだけに問題があるわけではない。

25/April/04

ぶらりぶらり通信 オレオレ詐欺に引っかかる

まったく思い出すたびに癪にさわる。オレオレ詐欺に見事引っかかってしまったのだ。

先週の金曜日昼、多勢来客中でカミさんがこれに対応していた。この時電話があり、私は別の場所にいたのでカミさんが出た。 その最中、私は戻って電話のやりとりを何気なしに聞いていた。なにか様子がおかしい。息子が自動車事故を起こし取り乱し泣いていて、何を聞いても要領を得ないという。 確かにその方面に息子は出かけている。息子の携帯電話は追突事故の際壊れて通じないと言ってるという。30歳を超えた息子がこんなことで泣くとも思えないが、万一のことを考えると不安がよぎる。

「お宅の息子さんが泣いていて要領を得ないから、私保険会社東京海上の者だが事故の説明をする」という男が電話にでた。 事故の相手は不動産屋で車はベンツだという、なんだか怖い筋を連想させる話かたをする。「警察も立ち会ったし、お宅の息子さんが一方的に悪い、あとでこじれると面倒になるケースだから、今日現金で示談にしたほうが良い、あとで保険もでるし相手も了承している」という。息子は出先で友達の車を借り、事故を起こしたらしい、その車の保険会社の者だという。

確認するために、また息子に電話に出てもらった。情けないことにまだ泣いている。 よく聞き取れない声で「そのとおりで、頼むから言われた金を払ってくれ」と泣き声をだす。更に確かめるために、事故の相手に電話に出てもらった。「うちの息子が迷惑をかけて申し訳ない」と丁重に謝ってから、示談金と振込先のことを確認した。つまりすっかり相手に乗せられてお金を振り込むところであった。 待てよ、念のために警察と保険会社に確認をとってみた、、、その時既に保険屋と称する男の携帯電話は不通になっていた。

オレオレ詐欺など引っかかるのは、騙されたほうが馬鹿だと誰でも思っているし、自分達だけは大丈夫と思っている。 以後、この手のニュース,新聞記事を笑えなくなってしまった。

17/April/04

ぶらりぶらり通信 櫛挽ヶ原 荒々しい春

四月に入ってからの数週間、ここ櫛挽ヶ原の防風林は一年のうちで最も劇的に変化する。それはもう眼も眩むほど荒々しい。 冬の名残を残してつい先ごろまで静かにしていたクヌギ、ナラの樹などがいっせいに動き出すのだ。芽吹きの姿は日々その彩を変え、大きさを変え林全体に拡がってゆく。 朝、昼、晩、晴れの日、雨の日、また曇りの日、とどまる事なくその姿は変わる。

隣の植木試験場に顔を出してみると、驚いたことに二種類の八重桜が満開になっていた。 この前来た時にはソメイヨシノの大樹が満開、その前はヒカン桜、さらにウメの数々,モクレンの花とさかのぼれる。ここの池には案の定オタマジャクシが出てきていた。まだ隅のほうで小さくかたまっている。これらがあの不細工なガマガエルになるのかと思うと可笑しい。天に突き刺すように突っ立っていたメタセコイアも、株立ちのケヤキも芽吹いていた。

手入れをされ、金をかけた庭もそれなりに美しいし楽しめる。それらに負けず劣らず自然のままの防風林も美しい。 自然のままとは恐ろしい事で、その土地の風土、環境に適した植生しか生き残っていない。そこにナラ、クヌギなどが今あるのはその理由があるに違いない。確かに自然のままの防風林に手を加えると、忽ちにしてその様相は変わってしまう。

有難いことに今年は優れた外部脳?デジカメを手に入れた。当分防風林から眼を離せない。

17/April/04

日本たまご事情 鳥インフルエンザ 終息宣言

4月13日、京都府鳥インフルエンザの終息宣言をした。 この問題は全国の養鶏生産者を震え上がらせたのみならず、人間への安全性のことで社会面のトップニュースとなり続けた。これだけ養鶏業界の悪いニュースを立て続けに流されると、予想されたとおり風評被害が拡がり鶏肉、鶏卵の消費量は落ち込み未だに回復していない。

幸いなことに日本では人間の被害はなかった。まず心配なのは毎日鶏に接している養鶏場の私たちであって一般消費者の方々ではない。 京都の養鶏場においてあれほど大量に鶏が死に、鳥インフルエンザ病原菌が鶏舎内に充満したにもかかわらず、そこで作業していた従業員の人たちは何でもなかったことは本当に幸いだった。今回京都の鳥インフルエンザ病原菌は人間には悪さをせず、家禽類だけを殺していった。

不幸なことにタイ、ベトナムでは鳥インフルエンザに感染し、合わせて22名の人たちが亡くなった。 病原菌のタイプが日本のそれと同じかどうか専門家にまかせるが、いずれも鶏との接触が多い人たちに起きているし、衛生環境も悪い。 そしてそれが人間から人間へと感染した例はない。

残念ながら牛のBSE騒ぎのときも同じであったが、「食品の安全」という錦の御旗のもとに繰り返されるマスコミの狂想曲、それに便乗した税金の無駄使い、、、いつまでも国民はそれを許してはくれまい。

11/April/04

ぶらりぶらり通信 「修羅の川」

小説「修羅の川(著者関口芙沙恵)」は昨年末光文社より出版されたばかりである。 前回「島村教会百年史」について触れたが、著者はこの島村出身の者である。日ごろはミステリー小説をものにしてるそうだがその名前を私は知らなかった。

金井十郎さんが「こんな本もあるよ」と言って百年史とともにこの本を貸してくれた。著者はミステリーを書くぐらいだから読みやすく、400ページを超える大作であるにもかかわらずあっという間に読んでしまった。生まれ故郷島村の郷土史を小説に仕上げたもので、実在の人物に加えてフィクションのヒロインが自由自在に活躍する。 明治の初期、島村蚕種輸出にまつわる苦闘を物語ったものだが、とても面白くそして悲しい物語なので、読んでいて電車の中にもかかわらずボロボロ泣いてしまった。
先日の夜、その島村の公民館でその著者を囲んで話を聞く会に誘われた。 農作業が忙しくなっているにも拘らず、そこには村の人々が数多く集まり、この村出身の著者を暖かく迎えた。 彼女の年配は私より少し若いと言ったところ、話し方は地味でボソボソといった感じ だが、内容が参加者それぞれに関係があるため最後まで会の集中度は途切れなかった。

先祖が何度も利根川の洪水で家田畑を流され、それにも挫けず世界に蚕の種を売り込み、いち早く西洋文明を村にもたらした進取の気性、それらがここに集まった人たちに脈々と受け継がれているのだろう。 著者、参加者を問わず、皆この小さな村の出身者であることに強い誇りを持っている、そんな感じを強く受けた。

4/April/04

鳥インフルエンザ 一罰百戒

日本中の養鶏家にとって悪夢のような3ヶ月であった。 鳥インフルエンザが来る日も来る日もテレビ、新聞のトップニュースではたまったものではない。 病気の発生した農場は勿論のこと、移動禁止を受けた半径30KM以内の農場の方々はいまだに大変な苦しみが続いている。

京都浅田農場の鶏病の様相を聞き、全国の養鶏関係者は震え上がった。症状を出す間もなく眠るように大量死するなど、今までに経験したことがない。 時が時だけに養鶏家ならだれでも動転してしまう。その時正しい判断が出来るかどうか私には自信は無い。起きてしまったことを後からどうのこうのと非難するのは容易いことだ。

決してまだ油断はできないが、とにかく一山超えたようだ。 すこし落ち着いて考えてみると、京都であれほどの鶏が急激に死んだにもかかわらず、それを世話していた養鶏場の人たちは何でもなかったのは、なによりも不幸中の幸いである。 マスコミは鳥インフルエンザで一般の人たちの健康を心配して大騒ぎをするが、一番先に心配しなければならないのは毎日鶏に接している養鶏場の人たちなのだ。

もう一つ幸いなことは、感染の拡大を最小限に食い止めたことにつきる。 それこそ官民あげての防疫体制が功を奏したのであろう。 ここ2−3年世界中で起きた鳥インフルエンザの感染例を見てみれば、この病気の拡大を食い止めることが如何に難しいことかが判る。そのなかでドイツは見事にそれをやってのけ被害を最小限に止めた。いざとなれば国民一致してルールを守る、良い面で両国の国民性が出たのかもしれない。 反面、悪く言えば融通性のきかないことこの上ない、その負担は生産者側にくる。

4/April/04

ぶらりぶらり通信 「島村教会百年史」

無理を言って金井十郎さんから「島村教会百年史」を見せていただいた。 金井家御先祖とその仲間の人たちがこの教会を創立し、現在にいたるまで代々それを支えていられる。 群馬県島村は利根川をまたいで埼玉県側に突き出た村でとてもユニークな歴史をもつ村である。 江戸時代より養蚕で栄え、明治初期優れた蚕種を横浜よりヨーロッパに輸出し、その名前を世界に知られた。

当時、生糸ならびに蚕種は日本の花形輸出産業であった。島村の人たちはいち早くこれに対応し、村に多くのものをもたらした。 文明開化の横浜で西洋文明に触れた島村の人たちは村にキリスト教も持ち込んだ。それは当時この村にとって驚天動地のことであったであろう。明治10年頃蚕種を売り込みに横浜へ出かけた島村の3人栗原、田島、金井氏が米国の宣教師に会いその話に感動したのがそもそもこの教会の始まりと記されている。幕末から明治にかけて日本の国は激動した。そのダイナミックな時代のなかで進取の気風に富んだ島村の人たちの歴史を物語るこの百年史は単に一教会の歴史を超えて多くのことを後世に伝えている。

金井十郎さんは私のゴルフの師匠である。だいぶ年上の筈だがどうやってもこの師匠には勝てない。 最近足腰が弱った言っておられるが、いざ勝負となるとしゃんとして顔つきまでが変わる。現在、岡部町でIT関連会社の会長をされているが、時代の最先端を行った島村の人たちの血を確実に受け継いでいられる。

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