病気自慢

病気自慢をするわけではないが,今年の夏頃から右眼が急に見えなくなってきた。
あわてて病院にいくと、若い先生が動脈硬化による眼底出血だという。
長年の不摂生で、5年ほど前脳卒中で倒れたくらいだから、ある程度覚悟はしていた。
「先生、残る左眼は大丈夫ですかね?」
「わからんね、右眼に起きたことは充分左眼にも起きる、それは明日かもしれないし、ずっと先かもしれない」
云うことがつれない。

有難いことに70歳の今日まであまり眼のことで心配したことがない。
小学生の頃、戦後の混乱期で眼の病気がはやったことがある、黄色い眼ヤニが出て眼医者につれていかれた程度だし、視力も人並みだ、特別良くもないし悪くもない。
というわけで視力を失った生活など考えたこともない。
見てはいけないと言われれば見たいのと同様、これから見えなくなるとなれば余計見たくなる。

忙しいことになった、あれも見たいし、これも見ておきたい。
今までのデジタルカメラに撮ってコンピュータに記録しておけば良い、などと悠長なことは言ってられない。
この眼でしっかり捉え、少々ガタが来ている脳みそにしっかりと焼き付けておくこととしょう。

かねがね見たいと思っていた「ダリの回顧展」を片目で観てきた、ただでさえ奇想天外な絵が余計凄まじく見えた。
グンニャリと折れ曲がった時計の図などは本などで見たことがあるが、本物を見るのは初めてだ。
常人には想像もつかない絵が、これでもかこれでもかと並んでいた。
ダリが天才なのか狂人なのか私は知らないが、こんな絵は見たことがない。

視力を失うことをいつも考えていれば、同じものを見ても見え方がまるで違う。
妙な言い方であるが、両目の時は見えないものが片目のほうがかえって見えることがある。