母校での話

母校での話

所属する新横浜教会の河合牧師より関東学院の礼拝で話をするよう依頼があった、私の母校であるし気軽に承諾した。ところが校長先生から丁重な依頼の手紙をいただき驚いた。
この礼拝は年に一度の記念礼拝で中学生750名、高校生750名それに先生方全員参加、それに中学生と高校生に分けて2回それも各30分話してくれとのことである。
生来、少しおっちょこちょいなところのある私も、気軽に引き受けたことを悔やんだ。
慌てて中学、高校時代の恩師を訪ねたり、私が中学生のころは終戦から5年も経っていなかったので横浜大空襲のことを調べたりしているうちに礼拝の日が来てしまった。
当日、会場は750人も入ると満員になり学生たちでざわざわしていた、ところが礼拝が始まるとピタリ、シーンとなった。とたんに私は極度に緊張し身体はこわばった。万一のためにiPadに話の要点だけメモしてあったのでこれを演台まで持参した。
「横浜大空襲」「学生時代」「仕事の面白さと辛さ」「私の病気」「鳥インフルエンザ」「聖書、教会、洗礼」などを時々つっかえながらもとにかく話は終わった。
話を聞かされた学生たちはどう思ったかは知らないが、私には大変為になった。このことが無ければ、卒業以来ご無沙汰していた恩師にお目にかかれ無かったし、戦争のことを改めて考え直したりすることも無かったであろう。
そのかわり自分の人生を30分で語ることの難しさを思い知らされた。