たまご屋おやじの独り言 加賀赤絵

 私が今でも採卵養鶏の仕事を続けてこられたのは、同業の優れた先輩たちに恵まれたからである。とくに神奈川県の相模原農場時代はそうだ、先輩たちは別に口でとやかく云うのではない、仕事をやってみせるのである、若かった私がどんなにしゃかりきに仕事をしても、先輩たちの農場にあらゆる点で敵わないのである、そこでまた頑張ってから先輩の農場を訪ねてみると、さらに進んでいる、とても勝負にならなかったのである。
そういう先輩の一人に磯ヶ谷さんがいた、すでに亡くなられたが、息子さん、娘さんが立派に跡をついでいる。
彼らから招待状が届いた、「日本橋高島屋で開催されている加賀赤絵展を見て欲しい」。
さっそく出かけた。
ここには中国明代の赤絵大花瓶、江戸時代の九谷諸窯の作品、パリ万博などに出展されたジャパンクタニ、そして現代の作品まで、いずれも加賀赤絵の系譜につながるものばかり150件が展示されていた。
手本は中国にあったにせよ、これを日本流に磨き上げ、さらにすばらしい独特のものに作り上げた。明治時代陶器は重要な輸出品であり、外貨をおおいに稼いだことは良く知られている。
展示室を一回りして驚いた。展示されている物の八割ほどが「鶏声磯ヶ谷美術館」所蔵となっていた。
磯ヶ谷さんは仕事一筋の人であったが、引退後好きで加賀赤絵の陶器を集めだした。それも仕事同様半端でなく、徹底的に集め、自分用の鶏声磯ヶ谷美術館まで作ってしまった。
今回の展示会は彼のコレクションが社会的に認められたことになる、まことに恐るべき先輩ではある。